・・・「伯母さんだって世帯人だもの、今頃は御飯時で忙しいだろうよ」と言ったものの、あまり淋しがるので弟達を呼ぶことにしました。 弟達が来ますと、二人に両方の手を握らせて、暫くは如何にも安心したかの様子でしたが、末弟は試験の結果が気になって落ち・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・』『相変わらず忙しいもんですから。』『マアお上がんなさいな、今日はどちらへ。』お神さんは幸吉の衣装に目をつけて言った。『神田の叔父の処へちょっと行って来ました、先生今晩お宅でしょうか。』幸吉の言葉は何となく沈んでいる。『在宅・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・このあいだ、昼間があまり忙しいので、夜なべに蕎麦をこなしたのだと母は話している。 祖父も百姓だった。その祖父も、その前の祖父も百姓だったらしい。その間、時には、田畑を売ったこともあり、また買ったこともあるようだ。家を焼かれてひどく困った・・・ 黒島伝治 「小豆島」
・・・ふと、蜂谷は思いついたように、「小山さん、医者稼業というやつはとかく忙しいばかりでして、思うようにも届きません。昨日から私も若いものを一人入れましたで。ええここの手伝いに。何かまた御用がありましたら、言付けてやって下さい」 こう言っ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・その六人の跡から、ただ一人忙しい、不揃な足取で、そのくせ果敢の行かない歩き方で、老人が来る。丈が低く、がっしりしていて、背を真直にして歩いている。項は広い。その上に、直ぐに頭が付いている。背後にだけ硬い白髪の生えている頭である。破れた靴が大・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ 深い真昼時、船頭や漁夫は食事に行き、村人は昼寝をし、小鳥は鳴を鎮めて渡舟さえ動かず、いつも忙しい世界が、その働きをぴたりと止めて、急に淋しくおそろしいように成った時、宏い宏い、心に喰い入るような空の下には、唯、物を云わない自然と、こそ・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・実はあの手紙、大変忙しい時間に、社の同僚と手分けして約二十通ちかくを書かねばならなかったので、君の分だけ、個人的な通信を書いている時機がなかった。稿料のことを書かないのは却って不徳義故誰にでも書くことにしている。一緒に依頼した共通の友人、菊・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 石島君は忙しい身であるにかかわらず、私にいろいろな事を示してくれた。士族屋敷にも行けば、かれの住んでいた家の址にもつれていってくれた。 で、その足で、熊谷町まで車を飛ばした。例の用水に添った描写は、この時に写生したものである。それ・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・さも忙しいという風をしてホテルの門を通り掛かった。門番が引き留めた。そしてうやうやしく一つの包みを渡すのである。同じ紙で包んで、同じ紐で縛ってある。おれははっと思うと、がっかりしてその椅子に倒れ掛かった。ボオイが水を一ぱい持って来てくれた。・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・ただその時とともに運動する「もの」と空間とが物質的でないだけである。 文学にも無関心ではないそうである。ただ忙しい彼には沢山色々のものを読む暇がないのであろう。シェークスピアを尊敬してゲーテをそれほどに思わないらしい。ドストエフスキー、・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫