・・・しかも、また、自らの作業を捗らせるための快い調でもあった。故に、喜びがあり、悲しみがあり、慰めがある。そして、狭小、野卑の悪感を催さない。なぜならば、これ、一人の感情ではなかったゝめだ。郷人の意志であり、情熱であった。これを、土と人とが産ん・・・ 小川未明 「常に自然は語る」
・・・その花には、朝早くからみつばちが飛んできて集まっていました。その快い羽音が、まだ二人の眠っているうちから、夢心地に耳に聞こえました。「どれ、もう起きようか。あんなにみつばちがきている。」と、二人は申し合わせたように起きました。そして外へ・・・ 小川未明 「野ばら」
・・・「じゃ、ちっとは新さんも快い方だと見えるね? そうやってお前が出歩くとこを見ると」「いえね、あの病気は始終そう附き限りでいなけりゃならないというのでもないから……それに、今日佃の方から雇い婆さんを一人よこしてもらって、その婆さんの方・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・それがまた寝せ付られるようで快い。今眼が覚めたかと思うと、また生体を失う。繃帯をしてから傷の痛も止んで、何とも云えぬ愉快に節々も緩むよう。「止まれ、卸せ! 看護手交代! 用意! 担え!」 号令を掛けたのは我衛生隊附のピョートル、イワ・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・二本の前足を掴んで来て、柔らかいその蹠を、一つずつ私の眼蓋にあてがう。快い猫の重量。温かいその蹠。私の疲れた眼球には、しみじみとした、この世のものでない休息が伝わって来る。 仔猫よ! 後生だから、しばらく踏み外さないでいろよ。お前はすぐ・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・外は快い雨あがりでした。まだ宵の口の町を私は友の一人と霊南坂を通って帰って来ました。私の処へ寄って本を借りて帰るというのです。ついでに七葉樹の花を見ると云います。この友一人がそれを見はぐしていたからです。 道々私は唱いにくい音諧を大声で・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・ただ私の疲労をまぎらしてゆく快い自動車の動揺ばかりがあった。村の人が背負い網を負って山から帰って来る頃で、見知った顔が何度も自動車を除けた。そのたび私はだんだん「意志の中ぶらり」に興味を覚えて来た。そして、それはまたそれで、私の疲労をなにか・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ 積っていた雪は解け、雨垂れが、絶えず、快い音をたてて樋を流れる。 吉永の中隊は、イイシに分遣されていた。丘の上の木造の建物を占領して、そこにいる。兵舎の樋から落ちた水は、枯れた芝生の間をくぐって、谷間へ小さな急流をなして流れていた・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・主人は庭を渡る微風に袂を吹かせながら、おのれの労働が為り出した快い結果を極めて満足しながら味わっている。 ところへ細君は小形の出雲焼の燗徳利を持って来た。主人に対って坐って、一つ酌をしながら微笑を浮べて、「さぞお疲労でしたろう。」・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・ ピシャリと快い音がしました。トヨ公が笠井氏の頬を、やったのでした。つづいて僕が、蹴倒しました。笠井氏は、四つ這いになり、「馬鹿、乱暴はよせ。男類、女類、猿類、まさにしかりだ。間違ってはいない。」 もう半分眠っているくらいに酔っ・・・ 太宰治 「女類」
出典:青空文庫