・・・のみならず多加志が泣きやんだと思うと、今度は二つ年上の比呂志も思い切り、大声に泣き出したりした。 神経にさわることはそればかりではなかった。午後には見知らない青年が一人、金の工面を頼みに来た。「僕は筋肉労働者ですが、C先生から先生に紹介・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・――彼は戸の卍字格子を後に、芸者の写真へ目をやっていたが、参謀の声に驚かされると、思い切り大きい答をした。「はい。」「お前だな、こいつらを掴まえたのは? 掴まえた時どんなだったか?」 人の好い田口一等卒は、朗読的にしゃべり出した・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ と思い切り頭を前の方にこくりとやった。「うん……八っちゃんがこうやって……病気になったの」 僕はもう一度前と同じ真似をした。お母さんは僕を見ていて思わず笑おうとなさったが、すぐ心配そうな顔になって、大急ぎで頭にさしていた針を抜・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・後に母の母が同棲するようになってからは、その感化によって浄土真宗に入って信仰が定まると、外貌が一変して我意のない思い切りのいい、平静な生活を始めるようになった。そして癲癇のような烈しい発作は現われなくなった。もし母が昔の女の道徳に囚れないで・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・前申しまする通り、釘だの縄だのに、呪われて、動くこともなりませんで、病み衰えておりますお雪を、手ともいわず、胸、肩、背ともいわず、びしびしと打ちのめして、(さあどうだ、お前、男を思い切るか、それを思い切りさえすれば復 と責めますのだ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・同じデカダンでも何処かサッパリした思い切りのいゝ精進潔斎的、忠君愛国的デカダンである。国民的の長所は爰であろうが短所も亦爰である。最っと油濃く執拗く腸の底までアルコールに爛らして腹の中から火が燃え立つまでになり得ない。モウパスサンは狂人にな・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・――蝶子は声自慢で、どんなお座敷でも思い切り声を張り上げて咽喉や額に筋を立て、襖紙がふるえるという浅ましい唄い方をし、陽気な座敷には無くてかなわぬ妓であったから、はっさい(お転婆で売っていたのだ。――それでも、たった一人、馴染みの安化粧品問・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・……各々思い切り給え。此身を法華経にかうるは石にこがねをかえ、糞に米をかうるなり」 かくて濤声高き竜ノ口の海辺に着いて、まさに頸刎ねられんとした際、異様の光りものがして、刑吏たちのまどうところに、助命の急使が鎌倉から来て、急に佐渡へ遠流・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・使い慣れた古道具や、襤褸や、貯えてあった薪などを、親戚や近所の者達に思い切りよくやってしまった。「お前等、えい所へ行くんじゃ云うが、結構なこっちゃ。」古い箕や桶を貰った隣人は羨しそうに云った。「うら等もシンショウをいれて子供をえろうにし・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・あまり三郎が他人行儀なのを見ると、時には私は思い切り打ち懲らそうと考えたこともあった。ところが、ちいさな時分から自分のそばに置いた太郎や次郎を打ち懲らすことはできても、十年他に預けて置いた三郎に手を下すことは、どうしてもできなかった。ある日・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫