・・・いわゆる原っぱへ出ると、南を向いた丘の斜面の草原には秋草もあれば桜の紅葉もあったが、どうもちょうどぐあいのいい所をここだと思い切りにくいので、とうとうその原っぱを通り越して往還路へおりてしまった。道ばたにはところどころに赤く立ち枯れになった・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・首の長いガラスのフラスコの底板を思い切り薄くして少しの曲率をもたせて彎曲させたものである。その首を口にふくんで適当な圧力で吹くと底のガラスの薄板がポンという音を立ててその曲率を反転する。逆に吸い込むとペンと言ってもとの向きに彎曲する。吹くの・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 四 脚は一八〇プロセントくらいに、眼と眼はうんとくっつけるか、思い切り開いて、さてこの腕をどうやろう。寛永寺の鴉より近い処にビッシェール、ロート。顔のここらへちょっと一刷毛、どうですこの色は新しいね。トラヽ・・・ 寺田寅彦 「二科狂想行進曲」
・・・御互のように命については極めて執着の多い、奇麗でない、思い切りのわるい連中が、こうしてぴんぴんしているような訳かも知れません。これでも多少の説明にはなります。しかしもっと進んでこの傾向の大原因を極めようとすると駄目であります。万法一に帰す、・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・空虚ならいっそ思い切りがよかったかも知れませんが、何だか不愉快な煮え切らない漠然たるものが、至る所に潜んでいるようで堪まらないのです。しかも一方では自分の職業としている教師というものに少しの興味ももち得ないのです。教育者であるという素因の私・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・それからやさしい腕木を思い切りそっちの方へ延ばしながら、ほんのかすかに、ひとりごとを言いました。「今朝は伯母さんたちもきっとこっちの方を見ていらっしゃるわ」 シグナレスはいつまでもいつまでも、そっちに気をとられておりました。「カ・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・ 秋の声を聞くと何よりも先に、バサリと散る思い切りの好い態度を続けて行かないのかいやになる。 ドロンとした空に恥をさらして居る気の利かない桐を見た目をうつすと、向うと裏門の垣際に作られた花園の中の紅い花が、びっくりするほど華に見える・・・ 宮本百合子 「後庭」
・・・ そうすると、 第一は、思い切り保守的な、宗教的な婦人と、 進取的な、努力的な、従って標準より、より知的であると倶に芸術的である婦人。 第三は、良人から与えられる金を当然の権利として、彼女の意のままに消費する群、つまり流行の・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 木の切り株 栃木県の矢板のステーションのすぐそばの杉林の一部が思い切り長く切りはらわれて居た。 田か畑にするらしい。 まだ新らしい生々とした香りの高そうな木の切り株が短かい枯草の中から頭を出して居る。何でも・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・ある日彼はついに苦心の結果一つのやり方を考案し、それでもなお師匠が彼を叱責するようであれば、思い切り師匠を撲り飛ばして逃亡しようと決心した。そうしてそのきわどい瞬間に達したときに、師匠は初めてうまいとほめた。自分の運命をその瞬間にかけるとい・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫