・・・どういう風に慰めるべきか、ほとほと思案に余った。 女は袂から器用に手巾をとりだして、そしてまた泣きだした。 その時、思いがけず廊下に足音がきこえた。かなり乱暴な足音だった。 私はなぜかはっとした。女もいきなり泣きやんでしまった。・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・そう思案した私は、実をいえば中学生の頃から髪の毛を伸ばしたかったのである。 しかし中学生の分際で髪の毛を伸ばすのは、口髭を生やすよりも困難であった。それ故私は高等学校にはいってから伸ばそうという計画を樹て、学校もなるべく頭髪の型に関する・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ 三 その翌日の午後、彼は思案に余って、横井を署へ訪ねて行った。明け放した受附の室とは別室になった奥から、横井は大きな体躯をのそり/\運んで来て「やあ君か、まああがれ」斯う云って、彼を二階の広い風通しの好い室へ案内し・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 全たく思案に暮れたが、然し何とか思案を定めなければならぬ。日は暮れかかり夕飯時になったけれど何を食うとも思わない。 ふと山王台の森に烏の群れ集まるのを見て、暫く彼処のベンチに倚って静かに工夫しようと日吉橋を渡った。 哀れ気の毒・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・彼女は番頭に黙って借りて帰ったモスリンと絣を、どう云ってその訳を話していゝか思案している。心を傷めている。――彼はいつのまにかお里の心持になっていた。――番頭が、三反持ってかえりながら、二反しか持って来ていない、と思うかもしれない。いえ、た・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・今考えても冷りとするような突き詰めた考えも発さないでは無かったが、待てよ、あわてるところで無い、と思案に思案して生きは生きたが、女とはとうとう別れてしまった。ああ、いつか次郎坊が毀れた時もしやと取越苦労をしたっけが、その通りになったのは情け・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・ええ、なんだって己は、まだぼんやり立っていて、どうのこうのと思案をしているのだろう。まあ、己はなんというけちな野郎だろう。」 熱い同情が老人の胸の底から涌き上がった。その体は忽ち小さくなって、頭がぐたりと前に垂れて、両肩がすぼんで、背中・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・家庭内のどんなささやかな紛争にでも、必ず末弟は、ぬっと顔を出し、たのまれもせぬのに思案深げに審判を下して、これには、母をはじめ一家中、閉口している。いきおい末弟は、一家中から敬遠の形である。末弟には、それが不満でならない。長女は、かれのぶっ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ラインゴルドで午食をして、ヨスチイで珈琲を飲んで、なんにするという思案もなく、赤い薔薇のブケエを買って、その外にも鹿の角を二組、コブレンツの名所絵のある画葉書を百枚買った。そのあとでエルトハイムに寄って新しい襟を買ったのであった。 晩に・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・自分も一度運悪くこの難船にぶつかって何かケルクショーズをしなければならないことになったので、そのケルクショーズの思案に苦しんでいたら隣席の若いドイツ人がドイツ語でこっそり「いちばん年とったダーメに花を捧げたまえ」と教えてくれた。幸いにドイツ・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
出典:青空文庫