・・・子どもはこれまでそんな小さな花を見た事がなかったものですから、またにこにことほおえみましたので、それに力を得て、おかあさんは子どもを抱き上げて、さらに行く手を急ぎました。 そのうちに第一の門に来ました。二人はそこを通って跡にかきがねをか・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・この第十六巻一冊でも、以上のような、さまざまの傑作あり、宝石箱のようなものであって、まだ読まぬ人は、大急ぎで本屋に駈けつけ買うがよい、一度読んだ人は、二度読むがよい、二度読んだ人は、三度読むがよい、買うのがいやなら、借りるがよい、その第十六・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・そうして急ぎ、このとおり訴え申し上げました。さあ、あの人を罰して下さい。どうとも勝手に、罰して下さい。捕えて、棒で殴って素裸にして殺すがよい。もう、もう私は我慢ならない。あれは、いやな奴です。ひどい人だ。私を今まで、あんなにいじめた。ははは・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・と、急に空想を捨てて路を急ぎ出した。三 この男はどこから来るかと言うと、千駄谷の田畝を越して、櫟の並木の向こうを通って、新建ちのりっぱな邸宅の門をつらねている間を抜けて、牛の鳴き声の聞こえる牧場、樫の大樹に連なっている小径―・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・忘れもしねえ、暑い土用の最中に、餒じい腹かかえて、神田から鉄砲洲まで急ぎの客人を載せって、やれやれと思って棍棒を卸すてえとぐらぐらと目が眩って其処へ打倒れた。帰りはまた聿駄天走りだ。自分の辛いよりか、朝から三時過ぎまでお粥も啜らずに待ってい・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・あるものは閑に任せて叮嚀な楷書を用い、あるものは心急ぎてか口惜し紛れかがりがりと壁を掻いて擲り書きに彫りつけてある。またあるものは自家の紋章を刻み込んでその中に古雅な文字をとどめ、あるいは盾の形を描いてその内部に読み難き句を残している。書体・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・「急ぎの使ひで月夜に江を渡りけり」という事を十七字につづめて見ようと思うて「使ひして使ひして」と頻にうなって見たが、何だか出来そうにもないので、復もとの水楼へもどった。 水楼へはもどったが、まだ『水滸伝』が離れぬ。水楼では宋江が酒を飲ん・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・ それでもやっぱり私は急ぎました。 湖はだんだん近く光ってきました。間もなく私はまっ白な石英の砂とその向うに音なく湛えるほんとうの水とを見ました。 砂がきしきし鳴りました。私はそれを一つまみとって空の微光にしらべました。すきとお・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・精女 いつもいつも御親切さまに御気をつけ下さいましてほんとうにマア、厚く御礼は申しあげますが急いで居りますから――この山羊の乳を早くもって参らなくてはなりませんでございますから――第一の精霊 お急ぎ? それでもマ年寄の云う事は御ききな・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・これが今朝課長に出さなくてはならない、急ぎの事件である。高い方の山は、相間々々にぽつぽつ遣れば好い為事である。当り前の分担事務の外に、字句の訂正を要するために、余所の局からも、木村の処へ来る書類がある。そんなのも急ぎでないのはこの中に這入っ・・・ 森鴎外 「あそび」
出典:青空文庫