・・・この態度を急変するのは治修の慣用手段の一つである。三右衛門はやはり目を伏せたまま、やっと噤んでいた口を開いた。しかしその口を洩れた言葉は「なぜ」に対する答ではない。意外にも甚だ悄然とした、罪を謝する言葉である。「あたら御役に立つ侍を一人・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・ その間に、一方では老中若年寄衆へこの急変を届けた上で、万一のために、玄関先から大手まで、厳しく門々を打たせてしまった。これを見た大手先の大小名の家来は、驚破、殿中に椿事があったと云うので、立ち騒ぐ事が一通りでない。何度目付衆が出て、制・・・ 芥川竜之介 「忠義」
大正十二年八月二十四日 曇、後驟雨 子供等と志村の家へ行った。崖下の田圃路で南蛮ぎせるという寄生植物を沢山採集した。加藤首相痼疾急変して薨去。八月二十五日 晴 日本橋で散弾二斤買う。ランプの台に入れるため。・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・本年四月十日と五月十二日に独軍の使用した毒ガスは風向き急変のために却ってドイツ側へ飛んで行ったという記事がある。また四月英国の閉塞隊がベルギー海岸のドイツ潜水艇の根拠地を襲撃した場合にも、味方の行動を掩蔽するために煤煙の障屏を使用しようとし・・・ 寺田寅彦 「戦争と気象学」
・・・気圧の急変で鼓膜を圧迫されるのをかまわないでいたら、熱海海岸で車を下りてみると耳がひどく遠くなっているのに気がついた。いくら唾を呑込んでみても直らない。人の物いう声が遠方に聞こえる代りに自分の声が妙に耳に籠って響くので、何となく心細くなって・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・世相の急変は啻に繁華な町のみではなく、この辺鄙にあってもまた免れないのである。わたくしは最初の印象を記憶するためにこの記をつくった。時に昭和九年杪冬の十二月十五日である。 元八幡宮のことは『江戸名所図会』、『葛西志』、及び風俗画報『東京・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・ しかのみならず、たといかかる急変なくして尋常の業に従事するも、双方互に利害情感を別にし、工業には力をともにせず、商売には資本を合せず、却て互に相軋轢するの憂なきを期すべからず。これすなわち余輩の所謂消極の禍にして、今の事態の本位よりも・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ この年七月蘆溝橋に轟いた銃声は日本の社会の相貌を急変させたと同時に、その年の秋には報告文学の問題が中心に立ち現れて来た。海を渡って早速何人かの作家が現地視察に赴き、その報告の文章が各雑誌に競って載せられた。社会事情の変化と共に大陸を背・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ ところが、私達の生活は外的な事情から急変して、私の良人とその手頸についたアンリー・ブランの時計とは、共に私の日常の視野から消え去ってしまった。 そして、二年と八ヵ月の日と夜とが経過した。私が、髪の蓬々とのびている彼に窮屈な場所で会・・・ 宮本百合子 「時計」
・・・ 一九二九年以来、世界の事情は急変した。久米正雄氏が嘗て美しい夫人を伴ってアメリカ人と肩を並べ悠々漫歩したパリのヴルールには、きょう、その時分にはなかった種類の示威行列がねっているそうである。与謝野晶子、藤村などが詩を語って、思い出の中・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
出典:青空文庫