・・・ 一四 幽霊 僕は小学校へはいっていたころ、どこの長唄の女師匠は亭主の怨霊にとりつかれているとか、ここの仕事師のお婆さんは嫁の幽霊に責められているとか、いろいろの怪談を聞かせられた。それをまた僕に聞かせたのは僕の祖父・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・「己は、魚の腸から抜出した怨霊ではねえかと思う。」 と掴みかけた大魚腮から、わが声に驚いたように手を退けて言った。「何しろ、水ものには違えねえだ。野山の狐鼬なら、面が白いか、黄色ずら。青蛙のような色で、疣々が立って、はあ、嘴が尖・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・……あの老尼は、お米さんの守護神――はてな、老人は、――知事の怨霊ではなかったか。 そんな事まで思いました。 円髷に結って、筒袖を着た人を、しかし、その二人はかえって、お米さんを秘密の霞に包みました。 三十路を越えても、窶れても・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
怪談の種類も色々あって、理由のある怪談と、理由のない怪談とに別けてみよう、理由のあるというのは、例えば、因縁談、怨霊などという方で。後のは、天狗、魔の仕業で、殆ど端睨すべからざるものを云う。これは北国辺に多くて、関東には少・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・(どうだ、手前と怨念に向いまして、お神さんがそう云いますと、あの、その怨霊がね、貴方、上下の歯を食い緊って、と二つばかり、合点々々を致したのでございますよ。(可とお神さんが申しますと、怨念はまたさっきのような幅の広い煙となって、それ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・見ると右の手の親指がキュッと内の方へ屈っている、やがて皆して、漸くに蘇生をさしたそうだが、こんな恐ろしい目には始めて出会ったと物語って、後でいうには、これは決して怨霊とか、何とかいう様な所謂口惜しみの念ではなく、ただ私に娘がその死を知らした・・・ 小山内薫 「因果」
・・・『サア理由を聞きましょう。怨霊が私に乗移って居るから気味が悪いというのでしょう。それは気味が悪いでしょうよ。私は怨霊の児ですもの。』と言い放ちました、見る/\母の顔色は変り、物をも言わず部屋の外へ駈け出て了いました。 僕は其まゝ母の・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・そして、怨霊のために、一家が死滅したことは珍しくなかった。だが、どんな怨霊も、樫の木の閂で形を以って打ん殴ったものはなかった。で、無形なものであるべき怨霊が、有形の棍棒を振うことは、これは穏かでない話であった。だが、困った事には、怨霊の手段・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・て来て犬の腹ともいわず顔ともいわず喰いに喰う事は実にすさましい有様であったので、通りかかりの旅僧がそれを気の毒に思うて犬の屍を埋めてやった、それを見て地蔵様がいわれるには、八十八羽の鴉は八十八人の姨の怨霊である、それが復讐に来たのであるから・・・ 正岡子規 「犬」
・・・今日の日本の二十歳前後の女性たちが、その胸に謡曲の世界の女性たち、四百年も昔の女性たちが、歎いたような悲歎、怨じたような恨、怨霊となってその思いを語らずにいられないほど生きている間には忍んでいた苦悩などを蔵して生きていてよいものだろうか。・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
出典:青空文庫