・・・しかし待てよ、畑で射られたのにしては、この灌木の中に居るのが怪しい。してみればこれは傷の痛さに夢中で此処へ這込だに違いないが、それにしても其時は此処まで這込み得て、今は身動もならぬが不思議、或は射られた時は一ヵ所の負傷であったが、此処へ這込・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・……此奴怪しいな、斯う思った刹那にひとりでに精神統一に入るんだね。そこで、……オイコラオイコラで引張って来るんだがね、それがもうほとんど百発百中だった」「……フム、そうかな。でそんな場合、直ぐ往来で縄をかけるという訳かね?」「……な・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・「この周文の山水というのは、こいつは怪しいものだ。これがまた真物だったら一本で二千円もするんだが、これは叔父さんさえそう言っていたほどだからむろんだめ。それから崋山、これもどうもだめらしいですね。じつはね、この間町の病院の医者の紹介で、・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・日光と散歩に恵まれた彼の生活は、いつの間にか怪しい不協和に陥っていた。遠くの父母や兄弟の顔が、これまでになく忌わしい陰を帯びて、彼の心を紊した。電報配達夫が恐ろしかった。 ある朝、彼は日当のいい彼の部屋で座布団を干していた。その座布団は・・・ 梶井基次郎 「過古」
・・・私は別にその人影を怪しいと思ったのではなかった。しかし私はなんということなく凝っと、その人影が闇のなかへ消えてゆくのを眺めていたのである。その人影は背に負った光をだんだん失いながら消えていった。網膜だけの感じになり、闇のなかの想像になり――・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・それに私もお付き申しているから、と言っても随分怪しいものですが、まあまあお気遣いのようなことは決してさせませんつもり、しかしおいやでは仕方がないが。 いやでござりますともさすがに言いかねて猶予う光代、進まぬ色を辰弥は見て取りて、なお口軽・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・殊に又ぞろ母からの無理な申込で頭を痛めた故か、その夜は寝ぐるしく、怪しい夢ばかり見て我ながら眠っているのか、覚めているのか判然ぬ位であった。 何か物音が為たと思うと眼が覚めた。さては盗賊と半ば身体を起してきょろきょろと四辺を見廻したが、・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・昔時はそれでも雁坂越と云って、たまにはその山を越して武蔵へ通った人もあるので、今でも怪しい地図に道路があるように書いてあるのもある。しかしこの釜和原から川上へ上って行くと下釜口、釜川、上釜口というところがあるが、それで行止りになってしまうの・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・次兄も、れいのけッという怪しい笑声を発した。末弟は、ぶうっとふくれて、「僕は、そのおじいさんは、きっと大数学者じゃないか、と思うのです。きっと、そうだ。偉い数学者なんだ。もちろん博士さ。世界的なんだ。いまは、数学が急激に、どんどん変って・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・そのほかに、たとえば、飲んだくれの亭主が夜おそく帰って来て戸をたたくと女房のクサンチペがバルコンから壺の中の怪しい液体をぶっかけ、結局つかみ合いになるという活劇をもわずかな小道具と背景を使って映し出して見せた。この同じ見せものにその後米国へ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
出典:青空文庫