・・・首も手も足もちゃんと附ていて、怪我一つしていない子供が、ニコニコ笑いながら、みんなの前に立ちました。 やがて、子供と爺さんは箱と綱を担いで、いそいそと人込の中へ隠れて行ってしまいました。・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・「何て、縁儀の悪いこっちゃ、一と晩に二人も怪我をしやがって! 貴様ら、横着をして兵タイのいるいい道を選って行っとるんだろう。この荷物は急ぐんだぞ。これ、こんな催促の手紙が来とるんだぞ!」 朝、深沢洋行のおやじは、ねむげな眼に眼糞をつ・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・人を殺すことや、怪我をさすことはなか/\好きな男である。 一体、プロレタリア作家は、誰でも人を殺したり、手や足をもぎ取ることが好きである。彼も、その一人である。まるで、人を殺さなければ小説が出来ないものゝように、百姓も殺せば、子供も殺す・・・ 黒島伝治 「自画像」
・・・別段怪我もしなかったが、身体中汚い泥染れになって叱られたことがある。其後親戚のものから、これを腰にさげて居れば犬が怖れて寄つかぬというて、大きな豹だか虎だかの皮の巾着を貰ったので、それを腰にぶらぶらと下げて歩いたが、何だか怪しいものをさげて・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・どちらにもお怪我があっては、なりませぬ。あとの始末は、私がいたします」 と申しますと、傍から四十の女のひとも、「そうですね、とうさん。気ちがいに刃物です。何をするかわかりません」 と言いました。「ちきしょう! 警察だ。もう承・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・可愛い。怪我しては、いけない。やめて欲しい、とも思うのだが、さて、この男には幹の蔭から身を躍らせて二人の間に飛び込むほどの決断もつかぬのです。もう少し、なりゆきを見たいのです。男は更に考える。 発砲したからといっても、必ず、どちらかが死・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・広大な松林の中を一直線に切開いた道路は実に愉快なちょっと日本ばなれのした車路で、これは怪我の功名意外の拾い物であった。 帰路は夕日を背負って走るので武蔵野特有の雑木林の聚落がその可能な最も美しい色彩で描き出されていた。到る処に穂芒が銀燭・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・ 焼夷弾投下のために怪我をする人は何万人に一人くらいなものであろう。老若の外の市民は逃げたり隠れたりしてはいけないのである。空中襲撃の防禦は軍人だけではもう間に合わない。 もしも東京市民が慌てて遁げ出すか、あるいはあの大正十二年の関・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・ あがりがまちのむこうには、荷馬車稼業の父親が、この春仕事さきで大怪我をしてからというもの、ねたきりでいたし、そばにはまだ乳のみ児の妹がねかしてあった。母親にすれば、倅の室の隅においている小さい本箱と、ちかごろときどき東京からくる手紙が・・・ 徳永直 「白い道」
・・・無論大した怪我ではないと合点して、車掌は見向きもせず、曲り角の大厄難、後の綱のはずれかかるのを一生懸命に引直す。車は八重に重る線路の上をガタガタと行悩んで、定めの停留場に着くと、其処に待っている一団の群集。中には大きな荷物を脊負った商人も二・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫