・・・その声があまり大きかったせいか、向うのテエブルにいた芸者がわざわざふり返って、怪訝な顔をしながら、こっちを見た。が、老紳士は容易に、笑いやまない。片手に鼻眼鏡が落ちそうになるのをおさえながら、片手に火のついたパイプを持って、咽を鳴らし鳴らし・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・お伽噺のみしか知らない読者はこう云う彼等の運命に、怪訝の念を持つかも知れない。が、これは事実である。寸毫も疑いのない事実である。 蟹は蟹自身の言によれば、握り飯と柿と交換した。が、猿は熟柿を与えず、青柿ばかり与えたのみか、蟹に傷害を加え・・・ 芥川竜之介 「猿蟹合戦」
・・・と、怪訝そうに話して聞かせるのです。こう云う話を聞くにつけても、新蔵はいよいよこの間から、自分を掌中に弄んだ、幽冥の力の怪しさに驚かないではいられませんでしたが、たちまちまた自分はあの雷雨の日以来、どうしていたのだろうと思い出しましたから、・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 授業に掛って、読出した処が、怪訝い。消火器の説明がしてある、火事に対する種々の設備のな。しかしもうそれさえ気にならずに業をはじめて、ものの十分も経ったと思うと、入口の扉を開けて、ふらりと、あの児が入って来たんだ。」「へい、嬢ちゃん・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・――そうすると、見失った友の一羽が、怪訝な様子で、チチと鳴き鳴き、其処らを覗くが、その笠木のちょっとした出張りの咽に、頭が附着いているのだから、どっちを覗いても、上からでは目に附かない。チチッ、チチッと少時捜して、パッと枇杷の樹へ飛んで帰る・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 小僧は怪訝な顔をして、「俺はそんなとこを見たことはねえよ。だって、あれからまだ一度も来たのは知らねえもの」「本当か?」「ああ、本当に!」「そんなはずはねえがな」と若衆は小首を傾げたが、思い出したように盤台をゴシゴシ。 ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・その時宅から持って行った葡萄酒やベルモットを試みに女中の親父に飲ませたら、こんな珍しい酒は生れて始めてだと云ってたいそう喜んだが、しかしよほど変な味がするらしく小首を傾けながら怪訝な顔をして飲んでいた。そうして、そのあとでやっぱり日本酒の方・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・相撲取草を見つけて相撲を取らせては不可解な偶然の支配に対する怪訝の種を小さな胸に植えつけていた。 芝の中からたんぽぽやほおずきやその他いろいろの雑草もはえて来た。私はなんだかそれを引き抜いてしまうのが惜しいような気がするのでそのままにし・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・寺田寅彦さんと云う方は御座らぬかとわめくボーイの濁声うるさければ黙って居けるがあまりに呼び立つる故オイ何んだと起き上がれば貴方ですかと怪訝顔なるも気の毒なり。何ぞと言葉を和らげて聞けば、上等室の苅谷さんからこれを貴方へ、と差出す紙包あくれば・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ 船の男は怪訝な顔をして、しばらく自分を見ていたが、やがて、「なぜ」と問い返した。「落ちて行く日を追かけるようだから」 船の男はからからと笑った。そうして向うの方へ行ってしまった。「西へ行く日の、果は東か。それは本真か。・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
出典:青空文庫