・・・花の白いのにさえ怯えるのであるから、雪の降った朝の臆病思うべしで、枇杷塚と言いたい、むこうの真白の木の丘に埋れて、声さえ立てないで可哀である。 椿の葉を払っても、飛石の上を掻分けても、物干に雪の溶けかかった処へ餌を見せても影を見せない。・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・と小さい時からただ人に叱られて育って来たので、人を見ると自分を叱るのではないかと怯える卑屈な癖が身についていて、この時も、譫言のように「すみません」を連発しながら寝返りを打って、また眼をつぶる。「叱るのではない。」とその黒衣の男は、不思・・・ 太宰治 「竹青」
・・・ 私は生れて始めて見た死人の顔にすっかり怯えると同時に、死と云うものに対して極端な恐怖と嫌悪を感じ出した。 此の妙な人の仕た一事によって七つの子の死に対する無邪気さは私の心からあらかた持ち去られて仕舞ったのである。 彼那恐ろしげ・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供に怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆか・・・ 宮本百合子 「昔の思い出」
・・・近松は、この世の義理に苦しみ、社会の制裁に怯える男女の歎きと愛着とを、七五調の極めて情緒的な、感性的な文章で愬えて、当時のあらゆる人の心を魅した。社会の身分の差別はどうあろうとも、偶然の機会から相寄った一組の男女が、自然のままに自分達の感情・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・真暗な東京を考えるだけで、ふだんの東京を知っているものは心は怯える。 人々は、口々に、「此方に来ていてよかった。運がよかった。まあ落付くまでいるがよい」と云われる。女のひとなどは、おろおろして、私の手を執る。けれども、私はまるであべこべ・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫