・・・わたくしは自分の恐ろしい運命を避けよう、どうしてもあなたにお目に掛かるまいと決心いたしました。わたくしは帽子を取って被って、女中にお断りを申上げるように言い附けて置いて、あの家に火事でも起ったように跡をも見ずに逃げました。 わたくしはき・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・貴方の一番終いに下すったあの恐ろしいお手紙が届いた時は、わたしは死のうと思いました。それを今打明けて申すのは、貴方に苦しい思いをさせようと思って申すのではございません。それからわたしは貴方に最後の御返事を致そうかと存じました。その手紙には非・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・そんな言葉ではよくわかるまいが、死を主観的に感ずるというのは、自分が今死ぬる様に感じるので、甚だ恐ろしい感じである。動気が躍って精神が不安を感じて非常に煩悶するのである。これは病人が病気に故障がある毎によく起こすやつでこれ位不愉快なものは無・・・ 正岡子規 「死後」
・・・グララアガア、グララアガア、その恐ろしいさわぎの中から、「今助けるから安心しろよ。」やさしい声もきこえてくる。「ありがとう。よく来てくれて、ほんとに僕はうれしいよ。」象小屋からも声がする。さあ、そうすると、まわりの象は、一そうひどく・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・そして又この方まで……アア恐ろしい。 お主さまダイアナ様! どういたしましょう? 私の体と心と一緒にふるえて居ります。 あの人も――この方も――立ち上りながらシリンクスはおそれて叫ぶ。ペーンはその銀の沓をはいた足の上・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・雨が窓にぶっ附かって、恐ろしい音をさせる。部屋中のものが、皆為事を置いて、窓の方を見る。木村の右隣の山田と云う男が云った。「むしむしすると思ったら、とうとう夕立が来ましたな。」「そうですね」と云って、晴々とした不断の顔を右へ向けた。・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・原の広さ、天の大きさ、風の強さ、草の高さ、いずれも恐ろしいほどに苛めしくて、人家はどこかすこしも見えず、時々ははるか対方の方を馳せて行く馬の影がちらつくばかり、夕暮の淋しさはだんだんと脳を噛んで来る。「宿るところもおじゃらぬのう」「今宵は野・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・「余は恐ろしい夢を見た」「マルメーゾンのジョゼフィヌさまのお夢でございましょう」「いや、余はモローの奴が生き返った夢を見た」 と、ナポレオンは云いながら、執拗な痒さのためにまた全身を慄わせた。「陛下、お寒いのでございます・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・誰も誰も持っている秘密が、闇の中で太って来て、恐ろしい姿になりますかと思われますね。ほんにこわいこと。でも、明りはまぶしゅうございますわ。」 フィンクはこう思った。己の腹の中で思う事を、あの可哀らしい静かな声が言い現わしているのだな。な・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・一度なんぞは、ある気狂い女が夢中に成て自分の子の生血を取てお金にし、それから鬼に誘惑されて自分の心を黄金に売払ったという、恐ろしいお話しを聞いて、僕はおっかなくなり、青くなって震えたのを見て「やっぱりそれも夢だったよ」と仰って、淋しそうにニ・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫