・・・奥さんは、すると、あなたの命の恩人ということになりますね。 ――女房は、可愛げの無い女です。好んで犠牲になったのです。エゴイストです。 ――もう一つお伺いします。あなたは、どちらの死を望みましたか? あなたは、隠れて見ていましたね。・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ このたびは、北さんと中畑さんと二人だけの事を書いて置くつもりであるが、他の大恩人の事も、私がもすこし佳い仕事が出来るようになってから順々に書いてみたいと思っている。今はまだ、書きかたが下手だから、ややこしい関係の事など、どうしても、う・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・女の子は、せわしくなるにつれて恩人の大学生からしだいに離れ、はなれた、とたんに大学生の姿も見えずなった。大学生には困難の年月がはじまりかけていたのである。 その夜、歌舞伎座から、遁走して、まる一年ぶりのひさごやでお酒を呑みビールを呑みお・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・その人の煙草の火のおかげで、私は煙草を一服吸う事が出来るのだもの、謂わば一宿一飯の恩人と同様である。けれども逆に、私が他人に煙草の火を貸した場合は、私はひどく挨拶の仕方に窮するのである。煙草の火を貸すという事くらい、世の中に易々たる事はない・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・今から、また、また、二十人に余るご迷惑おかけして居る恩人たちへお詫びのお手紙、一方、あらたに借銭たのむ誠実吐露の長い文、もう、いやだ。勝手にしろ。誰でもよい、ここへお金を送って下さい、私は、肺病をなおしたいのだ。ゆうべ、コップでお酒を呑んだ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・ と恩人をひやかすような事を低く言いました。乞食の負け惜しみというのでしょうか、虚栄というのでしょうか。アメリカの烏賊の缶詰の味を、ひそひそ批評しているのと相似たる心理でした。まことに、どうも、度し難いものです。 私たちの計画は、と・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・が、酔余の興にその家の色黒く痩せこけた無学の下婢をこの魚容に押しつけ、結婚せよ、よい縁だ、と傍若無人に勝手にきめて、魚容は大いに迷惑ではあったが、この伯父もまた育ての親のひとりであって、謂わば海山の大恩人に違いないのであるから、その酔漢の無・・・ 太宰治 「竹青」
・・・要らないことを、そそのかして、そうしてまたのこのこ、平気でここへ押しかけて来て、まるで恩人か何かのように、あの、きざな口のきき様ったら。どこまで、しょってるのか、判りゃしない。阿呆や。あの眼つきを、ごらんよ。どうしたって、ふつうじゃないから・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・お話を持って来て下さったお方が、謂わば亡父の恩人とでもいうような義理あるお方でございましたから、むげに断ることもできず、また、お話を承ってみると、先方は、小学校を出たきりで、親も兄弟もなく、その私の亡父の恩人が、拾い上げて小さい時からめんど・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・王さまも、王妃も、また家来の衆も、ひとしく王子の無事を喜び矢継早に、此の度の冒険に就いて質問を集中し、王子の背後に頸垂れて立っている異様に美しい娘こそ四年前、王子を救ってくれた恩人であるという事もやがて判明いたしましたので、城中の喜びも二倍・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
出典:青空文庫