・・・『取彼乳糜如意飽食、悉皆浄尽。』――仏本行経七巻の中にも、あれほど難有い所は沢山あるまい。――『爾時菩薩食糜已訖従座而起。安庠漸々向菩提樹。』どうじゃ。『安庠漸々向菩提樹。』女人を見、乳糜に飽かれた、端厳微妙の世尊の御姿が、目のあたりに拝ま・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ お徳は待ってたという調子で「あア悉皆内へ入ちゃったよ。外へ置くとどうも物騒だからね。今の高価い炭を一片だって盗られちゃ馬鹿々々しいやね」とお源を見る、お清はお徳を睨む、お源は水を汲んで二歩三歩歩るき出したところであった。「全く・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・併しそれも唯机に対って声さえ立てて居れば宜いので、毎日のことゆえ文句も口癖に覚えて悉皆暗誦して仕舞って居るものですから、本は初めの方を二枚か三枚開いたのみで後は少しも眼を書物に注がず、口から出任せに家の人に聞えよがしに声高らかに朗々と読んで・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・そうしておくれなら、わたしが釣った魚を悉皆でもいくらでもお前の宜いだけお前にあげる。そしてお前がお母さんに機嫌を悪くされないように。そうしたらわたしは大へん嬉しいのだから。 自分は自分の思うようにすることが出来た。少年は餌の土団子をこし・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・その結果、明治以降の大学の俗学たちの日本芸術の血統上の意見の悉皆を否定すべき見解にたどりつきつつあります。君はいつも筆の先を尖がらせてものかくでしょう。僕は君に初めて送る手紙のために筆の先をハサミで切りました。もちろんこのハサミは検閲官のハ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・これを錬え直して造った新しい鋭利なメスで、数千年来人間の脳の中にへばり付いていたいわゆる常識的な時空の観念を悉皆削り取った。そしてそれを切り刻んで新しく組立てた「時空の世界像」をそこに安置した。それで重力の秘密は自明的に解釈されると同時に古・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・万一の誤りを教えてならないとなれば世界中の学校教員は悉皆辞職しなければならない。万一の危険を恐れれば地震国の日本などには住まわぬがよいというと一般なものである。恐るべきは権威でなくて無批判な群衆の雷同心理でなければならない。 本当の科学・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・ 蓄音機が完成に近づくに従って生ずる新しい利用方面がいろいろに考えられる中にも、従来すでに行なわれているような音楽や演説の保存運搬、外国語の発音の教授などは別として、たとえば学校の講義のあるものを悉皆蓄音機ですませる事はできないかという・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・ちょっと例をあげてみると、教師からある種の質問を受けた時、悉皆頭脳に記憶してある事がらでも、どうもその質問に応じて、容易に返答ができぬ場合がある。胸には浮かんでいるが、ちょっとまとまって口にはいりかねることがある。これはその主要の点を正しく・・・ 寺田寅彦 「わが中学時代の勉強法」
・・・それがお前さん、動員令が下って、出発の準備が悉皆調った時分に、秋山大尉を助けるために河へ入って、死んじゃったような訳でね。」「どうして?」 爺さんは濃い眉毛を動かしながら、「それはその秋山というのが○○大将の婿さんでね。この人がなか・・・ 徳田秋声 「躯」
出典:青空文庫