・・・……この辺の有島氏の考えかたはあまりに論理的、理智的であって、それらの考察を自己の情感の底に温めていない憾みがある。少なくとも、進んで新生活に参加する力なしとて、退いて旧生活を守ろうとする場合、新生活を否定しないものであるかぎり、そこに自己・・・ 有島武郎 「片信」
・・・ 大友の心にはこの二三年前来、どうか此世に於て今一度、お正さんに会いたいものだという一念が蟠っていたのである、この女のことを思うと、悲しい、懐しい情感に堪え得ないことがある。そして此情想に耽る時は人間の浅間しサから我知らず脱れ出ずるよう・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・それが年を取るうちにいつの間にか自分の季節的情感がまるで反対になって、このごろでは初夏の若葉時が年中でいちばん気持のいい、勉強にも遊楽にも快適な季節になって来たようである。 この著しい「転向」の原因は主に生理的なものらしい。試みに自分の・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・同じやうに我等の書物に於ける装幀――それは内容の思想を感覚上の趣味によつて象徴し、色や、影や、気分や、紙質やの趣き深き暗示により、彼の敏感の読者にまで直接「思想の情感」を直覚させるであらうところの装幀――に関して、多少の行き届いた良心と智慧・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・の如き詩は、その情感の深く悲痛なることに於て、他に全く類を見ないニイチェ独特の名篇である。これら僅か数篇の名詩だけでも、ニイチェは抒情詩人として一流の列に入り得るだらう。 ニイチェのショーペンハウエルに対する関係は、新約全書の旧約全・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・ しかのみならず、たといかかる急変なくして尋常の業に従事するも、双方互に利害情感を別にし、工業には力をともにせず、商売には資本を合せず、却て互に相軋轢するの憂なきを期すべからず。これすなわち余輩の所謂消極の禍にして、今の事態の本位よりも・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・の調子は、そのメロディーを失って熱いテムポにかわった。情感へのアッピールの調子から理性への説得にうつった。 この時期の評論が、どのように当時の世界革命文学の理論の段階を反映し、日本の独自な潰走の情熱とたたかっているかということについての・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・文句はあれで結構、身ぶりもあれで結構、おふみの舞台面もあれでよいとして、もしその間におふみと芳太郎とが万歳をやりながら互に互の眼を見合わせるその眼、一刹那の情感ある真面目ささえもっと内容的に雄弁につかまれ活かされたら、どんなに監督溝口が全篇・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・質実な美感の深さ、そこにある抒情性のゆたかさというようなものは、人間の心にたたえられる情感のうちでも高いものの一つである。 あの人たちは、今これ迄とはちがって一体にしずんだ色や線のなかにとけこんでしまったが、そうやって一応もとの自分を消・・・ 宮本百合子 「新しい美をつくる心」
・・・深い深い人間叡智と諸情感の動いてやまない美を予感する。なぜならば、人類の歴史は常に個人の限界をこえて前進するものである。文学の創造というものが真実人類的な美しい能動の作業であるならば文学に献身するというその人の本性によって、人類、社会が合理・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
出典:青空文庫