・・・になりましたが、でも幸にいずれもおけがもなくておすみになりましたが、鎌倉では山階宮妃佐紀子女王殿下が御圧死になり、閑院宮寛子女王殿下が小田原の御用邸の倒かいで、東久邇宮師正王殿下がくげ沼で、それぞれ御惨死なされたのはまことにおんいたわしいか・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ 二人の子供たちは、今まで、方々の仕事場で、幾つも幾つも、惨死した屍体を見るのに馴れていた。物珍らしそうに見ていたので、殴り飛ばされたりした事もあった。 けれども、自分の父親が、そんな風にして死ぬものとは思わなかった。だのに、今、二・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・一九〇三年頃、このバクーの油田で労働者長屋の大爆発が起り三百数十人の労働者家族が惨死した事件があった。石油が湧き出すぐらいであるから、地盤がわるく、有害瓦斯の洩れるような場所が沢山ある。当時の石油会社は、そういう土地の上へ労働者長屋を建て、・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
出典:青空文庫