・・・ 第一の飛行機が日光へ向った同じ午前に、一方では、波多野中尉が一名の兵卒をつれて、同じく冒険的に生命をとして大阪に飛行し、はじめて東京地方の惨状の報告と、救護その他軍事上の重要命令を第四師団にわたし、九時間二十分で往復して来ました。それ・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・さすがに形容をはばかるが、惨状、眼をそむけしむるものがあったのである。おりからの炎熱とともに、ただならぬ悪臭を放つようになった。こんどは家内が、まいってしまった。「ご近所にわるいわ。殺してください」女は、こうなると男よりも冷酷で、度胸が・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・は最も具象的な眼前の事実としてその惨状を暴露しているのである。 一家のうちでも、どうかすると、直接の因果関係の考えられないようないろいろな不幸が頻発することがある。すると人はきっと何かしら神秘的な因果応報の作用を想像して祈祷や厄払いの他・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・ 大正十二年の秋東京の半を灰にした震災の惨状と、また昭和以降の世態人情とは、わたくしのような東京に生れたものの心に、釈氏のいわゆる諸行無常の感を抱かせるに力のあった事は決して僅少ではない。わたくしは人間の世の未来については何事をも考えた・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・今まで荷船の輻湊した狭い堀割の光景に馴らされていた眼には、突然濁った黄いろの河水が、岸の見えない低地の蘆をしたしつつ、満々として四方にひろがっているのを見ると、どうやら水害の惨状を望むが如く、俄に荒凉の気味が身に迫るのを覚えた。わたくしは東・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・を以て今日の榎本氏を責るはほとんど無稽なるに似たれども、万古不変は人生の心情にして、氏が維新の朝に青雲の志を遂げて富貴得々たりといえども、時に顧みて箱館の旧を思い、当時随行部下の諸士が戦没し負傷したる惨状より、爾来家に残りし父母兄弟が死者の・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・しかも日本・イタリー・ドイツのように三国連盟して、東洋と西洋の平和を攪乱したファシズム権力に引まわされた国々の人民生活の惨状は改めていうまでもありません。第二次大戦はファシズムの非人間性と狂暴な破壊性についておそろしい教訓を与えました。近代・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
・・・八〇年代の農奴制度の偽瞞的な廃止やその後に引きつづいて起った動揺に対して行われた弾圧のために消極的になった急進的な若い分子は、この饑饉の惨状の現実をモメントとして民衆悲惨の問題を再びとりあげて立った。ゴーリキイがまだ二十一歳ぐらいでニージュ・・・ 宮本百合子 「冬を越す蕾」
・・・ 浦和、蕨あたりからは、一旦逃げのびた罹災者が、焼跡始末に出て来る為、一日以来の東京の惨状は、口伝えに広まった。実に、想像以上の話だ。天災以外に、複雑な問題が引からまっているらしく、惨酷な〔二字伏字〕の話を、災害に遭って死んだ者の他につ・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
・・・市街戦の惨状が野戦よりはなはだしいと同じ道理で、皿に盛られた百虫の相啖うにもたとえつべく、目も当てられぬありさまである。 市太夫、五太夫は相手きらわず槍を交えているうち、全身に数えられぬほどの創を受けた。それでも屈せずに、槍を棄てて刀を・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫