・・・佐伯=作者の想念が「私」のために邪魔されたといっておられますが、計画的に邪魔をして行っているわけです。 次に、表現を色彩へ持って行くことが誇張だとは、どういうことでしょうか。「眼の前が真っ白になる」と。「青ざめた顔」はむしろ月並みです。・・・ 織田作之助 「吉岡芳兼様へ」
・・・――暗のなかに仄白く浮かんだ家の額は、そうした彼の視野のなかで、消えてゆき現われて来、喬は心の裡に定かならぬ想念のまた過ぎてゆくのを感じた。蟋蟀が鳴いていた。そのあたりから――と思われた――微かな植物の朽ちてゆく匂いが漂って来た。「君の・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ バサバサと凍った雪を踏んで、月光のなかを、彼は美しい想念に涵りながら歩いた。その晩行一は細君にロシアの短篇作家の書いた話をしてやった。――「乗せてあげよう」 少年が少女を橇に誘う。二人は汗を出して長い傾斜を牽いてあがった。そこ・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・そこで歳こそ往かないが源三もなんとなく心淋しいような感じがするので、川の側の岩の上にしばし休んで、どうとうと流れる水のありさまを見ながら、名づけようを知らぬ一種の想念に心を満たしていた。そうするといずくからともなく人声が聞えるようなので、も・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・自分のものでも無い或る卑しい想念を、自分の生れつきの本性の如く誤って思い込み、悶々している気弱い人が、ずいぶん多い様子であります。卑しい願望が、ちらと胸に浮ぶことは、誰にだってあります。時々刻々、美醜さまざまの想念が、胸に浮んでは消え、浮ん・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・私は小説というものを間違って考えているのであろうか、と思案にくれて、いや、そうで無いと打ち消してみても、さて、自分に自信をつける特筆大書の想念が浮ばぬ。確乎たる言葉が無いのだ。のどまで出かかっているような気がしながら、なんだか、わからぬ。私・・・ 太宰治 「鴎」
・・・という想念に就いてであった。故郷の新聞社から、郷土出身の芸術家として、招待を受けるということは、これは、衣錦還郷の一種なのではあるまいか。ずいぶん、名誉なことなのでは無いか。名士、というわけのことになるのかも知れぬ、と思えば卒然、狼狽せずに・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・以上の私の言葉にからまる、或る一すじの想念に心うごかされたる者、かならず、「終日。」を読むべし。私、かれの本の出版を待つこと、切。 フィリップの骨格に就いて 淀野隆三、かれの訳したる、フィリップ短篇集、「小さき町にて・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・ 虚栄の子のそのような想念をうつらうつらまとめてみているうちに、私は素晴らしい仲間を見つけた。アントン・ファン・ダイク。彼が二十三歳の折に描いた自画像である。アサヒグラフ所載のものであって、児島喜久雄というひとの解説がついている。「背景・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・一個の想念じゃないか。今の文学者連中に聞き度いのは、よく人生に触れなきゃ不可と云う、其人生だ。作物を読んで、こりゃ何となく身に浸みるとか、こりゃ何となく急所に当らぬとかの区別はある。併しそれが直ちに人生に触れる触れぬの標準となるんなら、大変・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
出典:青空文庫