・・・しかしちょいと鼻の先の上った、愛敬の多い円顔である。 お嬢さんは騒がしい人ごみの中にぼんやり立っていることがある。人ごみを離れたベンチの上に雑誌などを読んでいることがある。あるいはまた長いプラットフォオムの縁をぶらぶら歩いていることもあ・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・こう云う種類の人間のみが持って居る、一種の愛嬌をたたえながら、蛇が物を狙うような眼で見つめたのである。「別儀でもございませんが、その御手許にございまする御煙管を、手前、拝領致しとうございまする。」 斉広は思わず手にしていた煙管を見た・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・配達車のそばを通り過ぎた時、梶棒の間に、前扉に倚りかかって、彼の眼に脚だけを見せていた子供は、ふだんから悪戯が激しいとか、愛嬌がないとか、引っ込み思案であるとかで、ほかの子供たちから隔てをおかれていた子に違いない。その時もその子供だけは遊び・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・とぼけていて、ちょっと愛嬌のあるものです。ほんの一番だけ、あつきあい下さいませんか。」 こう、つれに誘われて、それからの話である。「蛸とくあのくたら。」しかり、これだけに対しても、三百三もんがほどの価値をお認めになって、口惜い事はあるま・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 密と椅子の傍へ来て、愛嬌づいた莞爾した顔をして、 と云う。――姉さんが来て、今日は火が燃える、大火事があって危ないから、早仕舞にしてお帰りなさい。先生にそうお願いして、と言いますから……家へ帰らして下さい、と云うんです。含羞む・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・と、僕が答えるとたん、から紙が開いて、細君が熱そうなお燗を持って出て来たが、大津生れの愛嬌者だけに、「えろうお気の毒さまどすこと」と、自分は亭主に角のない皮肉をあびせかけ、銚子を僕に向けて、「まア、一杯どうどす?――うちの人は、いつ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ 初代の喜兵衛も晩年には度々江戸に上って、淡島屋の帳場に座って天禀の世辞愛嬌を振播いて商売を助けたそうだ。初代もなかなか苦労人でかつ人徳があったが、淡島屋の身代の礎を作ったのは全く二代目喜兵衛の力であった。四 狂歌師岡鹿楼笑名・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・元来緑雨の皮肉には憎気がなくて愛嬌があった。緑雨に冷笑されて緑雨を憎む気には決してなれなかった。が、世間から款待やされて非常な大文豪であるかのように持上げられて自分を高く買うようになってからの緑雨の皮肉は冴を失って、或時は田舎のお大尽のよう・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 女は二十二三でもあろうか、目鼻立ちのパラリとした、色の白い愛嬌のある円顔、髪を太輪の銀杏返しに結って、伊勢崎の襟のかかった着物に、黒繻子と変り八反の昼夜帯、米琉の羽織を少し抜き衣紋に被っている。 男はキュウと盃を干して、「さあお光・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・そして、休む暇もなく愛嬌を振りまいている。その横に「めをとぜんざい」と書いた大きな提灯がぶら下っている。 はいって、ぜんざいを注文すると、薄っぺらな茶碗に盛って、二杯ずつ運んで来る。二杯で一組になっている。それを夫婦と名づけたところに、・・・ 織田作之助 「大阪発見」
出典:青空文庫