・・・ 芸術家科学者はその芸術科学に対する愛着のあまりに深い結果としてしばしば互いに共有な弱点を持っている。その一つはすなわち偏狭という事である。もちろんまれには卑しい物質的の利害から起こる事もないではあるまいが、それらは別問題として、科・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・あるいはまた単にその物が古いために現今稀有である、類品が少ないという考えに伴う愛着の念が主要な点になる事もある。この趣味に附帯して生ずる不純な趣味としては、かような珍品をどこからか掘出して来て人に誇るという傾向も見受けられる。この点において・・・ 寺田寅彦 「科学上の骨董趣味と温故知新」
・・・そんなことを無意識に考えたためでもあろうか、この水準点ベンチマークの鋲の丸いあたまに不思議な愛着のようなものを感じてちょっとさわってみないではいられなかったのである。 水準点のすぐそばに木の角柱が一本立っている。もうだいぶ長く雨風にさら・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・雪江は深い愛着を彼にもっていた。 私はこの海辺の町についての桂三郎の説明を聞きつつも、六甲おろしの寒い夜風を幾分気にしながら歩いていた。「いいえ、ここはまだ山手というほどではありません」桂三郎はのっしりのっしりした持前の口調で私・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・いかに愛着するところのものでも脱ぎ棄てねばならぬ時がある、それは形式残って生命去った時である。「死にし者は死にし者に葬らせ」墓は常に後にしなければならぬ。幸徳らは政治上に謀叛して死んだ。死んでもはや復活した。墓は空虚だ。いつまでも墓に縋りつ・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 着物だの飾り物に、ひどい愛着を持って居るお君は、見も知らない人々が、隅から隅まで隆とした装で居るのを見るとたまらなくうらやましくなって、例えそれが、正銘まがい無しの物でも、自分の手の届くところまで、引き下げたものにして考えて居なければ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・そこの内部は何か人目からかくされた場所で、そこにある丁度いい暖かさ、体にあった窪みを、ほかのものには相当堪え難い悪臭とともに、自分たちの巣の懐かしさとして愛着する、そういうところがありはしないだろうか。 家庭のくつろぎ、居心地よさという・・・ 宮本百合子 「家庭創造の情熱」
・・・学生は、学生であるということで、自身の時間というものへの愛着を必要としないものとされて来ているようなところがある。未成年者として服すべき義務、受けるべき練成が、その対象としてあらわれていると思う。 家庭の中で、たとえて云えば妹が冗談に、・・・ 宮本百合子 「家庭と学生」
・・・ 私の年頃、十代で若しくは二十代で死ぬのはまことにつらい事だし五十位の人も又激しい生の愛着を持って居るのだ。実現されない希望を多く胸に抱いていくばくかの努力と勤勉の後、生れて居る現実を楽しんで居る。私共は胸に多くの希望があるがために死ぬ・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・かくて私は彼らの人格と行為とのすべてに愛着を持ち続けた。 私は私の心を常に彼らの心に触れ合わせようと欲した。しかし時のたつとともに、私は彼らがシンミリした愛情を求めていないのに気づいた。彼らが尚ぶのは酔歓であった、狂気であった、機智であ・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫