・・・喜三郎は甚太夫の覚悟に感服しながら、云われた通り自分だけ敵打の場所へ急いだ。 が、ほどなく甚太夫も、祥光院の門前に待っていた喜三郎と一しょになった。その日は薄雲が空に迷って、朧げな日ざしはありながら、時々雨の降る天気であった。二人は両方・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・僕はその時、ぬかるみに電車の影が映ったり、雨にぬれた洋傘が光ったりするのに感服していたが、菊池は軒先の看板や標札を覗いては、苗字の読み方や、珍らしい職業の名なぞに注意ばかりしていた。菊池の理智的な心の持ち方は、こんな些事にも現われているよう・・・ 芥川竜之介 「合理的、同時に多量の人間味」
・・・泰山前に頽るるともビクともしない大西郷どんさえも評判に釣込まれてワザワザ見物に来て、大に感服して「万国一覧」という大字の扁額を揮ってくれた。こういう大官や名家の折紙が附いたので益々人気を湧かして、浅草の西洋覗眼鏡を見ないものは文明開化人でな・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 緑雨の随筆、例えば『おぼえ帳』というようなものを見ると、警句の連発に一々感服するに遑あらずだが、緑雨と話していると、こういう警句が得意の“Sneer”と共にしばしば突発した。我々鈍漢が千言万言列べても要領を尽せない事を緑雨はただ一言で・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・島田には実に感服したよ。Yがオイオイ声を出して泣いて詫まった時にダネ。人間てものは誰でも誤って邪路に踏迷う事があるが、心から悔悛めれば罪は奇麗に拭い去られると懇々説諭して、俺はお前に顔へ泥を塗られたからって一端の過失のために前途にドンナ光明・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・と云われた通りに、紅葉や露伴の感服されたのも「小説家にしては――」という条件付きであったのである。 三文文学とか「チープ・リテレチュア」とかいう言葉は今でも折々繰返されてるが、斯ういう軽侮語を口にするものは、今の文学を研究して而して後鑑・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・人接のよさと一々に感服したる末は、何として、綱雄などのなかなか及ぶところでないと独り語つ。光代は傍に聞いていたりしが、それでもあの綱雄さんは、もっと若くって上品で、沈着いていて気性が高くって、あの方よりはよッぽどようござんすわ。と調子に確か・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・覚悟はしていたものの矢張り余り感服しませんでしたねエ。第一、それじゃア痩せますもの」 上村は言って杯で一寸と口を湿して「僕は痩せようとは思っていなかった!」「ハッハッハッハッハッハッ」と一同笑いだした。「そこで僕はつくづく考・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・その理由は、桂の父が、当時世間の大評判であった田中鶴吉の小笠原拓殖事業にひどく感服して、わざわざ書面を送って田中に敬意を表したところ、田中がまたすぐ礼状を出してそれが桂の父に届いたという一件、またある日正作が僕に向かい、今から何カ月とかする・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・今はじまったことでは無いが、自分は先輩のいかにも先輩だけあるのに感服させられて、ハイなるほどそうですネ、ハイなるほどそうですネ、と云っていると、東坡巾の先生はてんぜんとして笑出して、君そんなに感服ばかりしていると、今に馬糞の道傍に盛上がって・・・ 幸田露伴 「野道」
出典:青空文庫