・・・すると次第に不思議な感覚が、彼女の心に目ざめて来た。それは誰かが後にいて、じっとその視線を彼女の上に集注しているような心もちである。 が、寝室の中には彼女のほかに、誰も人のいる理由はない。もしいるとすれば、――いや、戸には寝る前に、ちゃ・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・「少くとも夢なんぞは感覚的なだけに、なおそうらしいね。小説の中に出て来る夢で、ほんとうの夢らしいのはほとんど一つもないくらいだ。」「だが、恋愛小説の傑作は沢山あるじゃないか。」「それだけまた、後世 そう話がわかっていれば、大に心づよい。・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・風に向った二人の半身は忽ち白く染まって、細かい針で絶間なく刺すような刺戟は二人の顔を真赤にして感覚を失わしめた。二人は睫毛に氷りつく雪を打振い打振い雪の中をこいだ。 国道に出ると雪道がついていた。踏み堅められない深みに落ちないように仁右・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・全身はかつて覚えのない苦しい快い感覚に木の葉の如くおののいた。喉も裂け破れる一声に、全身にはり満ちた力を搾り切ろうとするような瞬間が来た。その瞬間にクララの夢はさめた。 クララはアグネスの眼をさまさないようにそっと起き上って窓から外を見・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・―― 今思うと、手を触れた稚児の頭も、女か、男か、不思議にその感覚が残らぬ。気は涼しかったが、暑さに、いくらか茫としたものかも知れない。「娘さん、町から、この坂を上る処に、お宮がありますわね。」「はい。」「何と言う、お社です・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・に以前の単純の時代と反対に、自分にはとにかく妻というものができ、一方には元の恋中の女が独身でいて、しかもどうやら自分の様子に注意しているらしく思われる境涯、年若な省作にはあまりに複雑すぎた位置である。感覚の働きが鈍ったわけではないけれど、感・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・夏目漱石さんはあらゆる方面の感覚にデリケートだったのは事実だろうが、別けても色に対する感覚は特にそうだったと思う。「ブリウブラックを使えば帳面を附けているような気がする」と好く言われた。 その割に原稿は極めてきたなかった。句読の切り方な・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・それでこの本を読む人はことごとく同じ感覚を持つだろうと思います。実に今より百年ばかり前のことをわれわれの目の前に活きている画のように、ソウして立派な画人が書いてもアノようには書けぬというように、フランス革命のパノラマを示してくれたものはこの・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・故に、習慣に累せられず、知識に妨げられずに、純鮮なる少年時代の眼に映じた自然より得来た自己の感覚を芸術の上に再現せんとして、努力するのは、蓋し、茲に甚大の意義を有することを知からである。・・・ 小川未明 「感覚の回生」
・・・ たとえば、同じ海にしても、北方の海と、南方の海とは、色彩、感覚、特性等から、その人々に与えつゝある影響に至るまで異るのであります。従って、その地方の子供達が海洋に対する空想、憧憬は、決して同じいものではなかったばかりでなく、これに・・・ 小川未明 「新童話論」
出典:青空文庫