・・・ぎらして帰って来たが、その晩は少し遅くなったので、淋しい横町から、二人肩と肩と擦れ寄りながら、自分の家の前まで来て内へ入ろうと思った途端、其処に誰も居ないものが、スーウと格子戸が開いた時は、彼も流石に慄然としたそうだが、幸に女房はそれを気が・・・ 小山内薫 「因果」
・・・さてこそ置去り…… と思うと、慄然として、頭髪が弥竪ったよ。しかし待てよ、畑で射られたのにしては、この灌木の中に居るのが怪しい。してみればこれは傷の痛さに夢中で此処へ這込だに違いないが、それにしても其時は此処まで這込み得て、今は身動もな・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・彼は、あの土をもり上げた底から、なお、叫び唸る声がひゞいて来るような気がした。狭い穴の中で、必死に、力いっぱいにのたうちまわっている、老人が、まだ、目に見えるようだった。彼は慄然とした。 日が経った。次の俸給日が来た。兵卒は聯隊の経理室・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・その瞬間、田島は、十貫を楽々とかつぐキヌ子のあの怪力を思い出し、慄然として、「ゆるしてくれえ。どろぼう!」 とわけのわからぬ事を叫んで、はだしで廊下に飛び出した。 キヌ子は落ちついて、ドアをしめる。 しばらくして、ドアの外で・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・とすると、慄然とするのだ。殿様は、真実を掴みながら、真実を追い求めて狂ったのだ。殿様は、事実、剣術の名人だったのだ。家来たちは、決してわざと負けていたのではなかった。事実、かなわなかったのだ。それならば、殿様が勝ち、家来が負けるというのは当・・・ 太宰治 「水仙」
・・・私はいったい誰だろう、と考えて、慄然とした。私は私の影を盗まれた。何が、フレキシビリティの極致だ! 私は、まっすぐに走りだした。歯医者。小鳥屋。甘栗屋。ベエカリイ。花屋。街路樹。古本屋。洋館。走りながら私は自分が何やらぶつぶつ低く呟いている・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・そんな事を繰り返して一夜ふと考えて、慄然とするのだ。いったい私は、自分をなんだと思っているのか。之は、てんで人間の生活じゃない。私には、家庭さえ無い。三鷹の此の小さい家は、私の仕事場である。ここに暫くとじこもって一つの仕事が出来あがると私は・・・ 太宰治 「誰」
・・・そのときは、流石に慄然とした。気が狂ったなと思った。私は、うつろな眼できょろきょろあたりを見まわした。しかし、ウイスキイのグラスは日本髪の少女の手で私のテエブルに運ばれて来た。 私は当惑した。私はいままで、ウイスキイなど飲んだことがなか・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・大学教授といっても何もえらいわけではないけれども、こういうのが大学で文学を教えている犯罪の悪質に慄然とした。 そいつが言うのである。何というひねこびた虚栄であろう。しゃれにも冗談にもなってやしない。嫌味にさえなっていない。かれら大学教授・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・ などと機嫌のいい時には、手さぐりで下の男の子と遊んでいる様を見て、もし、こんな状態のままで来襲があったら、と思うと、また慄然とした。妻は下の男の子を背負い、私がこの子を背負って逃げるより他しかたが無いだろうが、しかし、そうすると、義妹・・・ 太宰治 「薄明」
出典:青空文庫