・・・また実際お島婆さんが、二人の間の電話にさえ気を配るようになったとすると、勿論泰さんとお敏とが秘密の手紙をやりとりしているにも、目をつけているのに相違ありませんから、泰さんの慌てるのももっともなのです。まして新蔵の身になって見れば、どうする心・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・と判事も屹と目を瞠ったが、この人々はその意気において、五という数が、百となって、円とあるのに慌てるような風ではない。「まあどうしたというのでございますか、抽斗にお了いなすったのは私もその時見ておりましたのに、こりゃ聞いてさえ吃驚いたしま・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ と訊くから、そういうのが、慌てる銃猟家だの、魔のさした猟師に、峰越しの笹原から狙い撃ちに二つ弾丸を食らうんです。……場所と言い……時刻と言い……昔から、夜待ち、あけ方の鳥あみには、魔がさして、怪しいことがあると言うが、まったくそれは魔がさ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・美しい女が自動車の前で周章てるのを見ると、俺だちは喜んだ。――だが、何故こんなに沢山の「女」が歩いているのだろう。そして俺が世の中にいたとき、決してこんなに女が沢山歩いていなかった。これは不思議なことだと思った。女、女、女……俺だちの眼は、・・・ 小林多喜二 「独房」
出典:青空文庫