・・・わたくしはそのいずれを思返しても決して慚愧と悔恨とを感ずるようなことはない。さびしいのも好かったし、賑なのもまたわるくはなかった。涙の夜も忘れがたく、笑の日もまた忘れがたいのである。 大久保に住んでいたころである。その頃家にいたお房とい・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・はなはだ遅まきの話で慚愧の至でありますけれども、事実だから偽らないところを申し上げるのです。 私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。一口でいう・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・我輩は右の話を聞て余処の事とは思わず、新日本の一大汚点を摘発せられて慚愧恰も市朝に鞭たるゝが如し。条約改正、内地雑居も僅に数箇月の内に在り、尚お此まゝにして国の体面を維持せんとするか、其厚顔唯驚く可きのみ。抑も東洋西洋等しく人間世界なるに、・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・醜を恣にするにあらざれば同類一場の交際を開き、豪遊と名づけ愉快と称し、沈湎冒色勝手次第に飛揚して得々たるも、不幸にして君子の耳目に触るるときは、疵持つ身の忽ち萎縮して顔色を失い、人の後に瞠若として卑屈慚愧の状を呈すること、日光に当てられたる・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・るときは、同時に自から省みて聊か不愉快を感ずるもまた人生の至情に免かるべからざるところなれば、その心事を推察するに、時としては目下の富貴に安んじて安楽豪奢余念なき折柄、また時としては旧時の惨状を懐うて慙愧の念を催おし、一喜一憂一哀一楽、来往・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・どんな慙愧の念をもって、昨年十月初旬、治維法の撤廃された事実を見、初めて公表された日本支配権力の兇暴に面をうたれたことだろう。 民主的な社会生活の根本には、人権の尊重という基底が横わっている。人権尊重ということは、正当な思想を抑圧して小・・・ 宮本百合子 「今日の生命」
・・・作家としての目の皮相さについて、慙愧に耐えないのが本当です。自分としての動機が純であればあるほど、この打撃は痛切なはずです。そこにこそ、その作家にとって昨日はなかった今日および明日の芸術のテーマが与えられているわけです。作家として意欲するに・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・若し正直な人達であれば慙愧に堪えないでしょう。ああいう風にして立派な人を死なせたその力はわれわれを堕落させて碌な評論も書けない人間にしてしまったと反省するでしょう。しかし、そういう人達はそれを申しません。民主的な人間の生き方は、治安維持法が・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
・・・能面に対してこれほど盲目であったことはまことに慚愧に堪えない次第であるが、しかしそういう感じ方にも意味はあるのである。自分はあの時、伎楽面の美しさがはっきり見えるように眼鏡の度を合わせておいて、そのままの眼鏡で能面を見たのであった。従って自・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
出典:青空文庫