・・・この態度を急変するのは治修の慣用手段の一つである。三右衛門はやはり目を伏せたまま、やっと噤んでいた口を開いた。しかしその口を洩れた言葉は「なぜ」に対する答ではない。意外にも甚だ悄然とした、罪を謝する言葉である。「あたら御役に立つ侍を一人・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・そうしてその時は、私が詩作上に慣用した空想化の手続が、私のあらゆることに対する態度を侵していた時であった。空想化することなしには何事も考えられぬようになっていた。 象徴詩という言葉が、そのころ初めて日本の詩壇に伝えられた。私も「吾々の詩・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・こういうふうの技巧で過去を現在に反射――対照する方法はこの監督のかなり得意な慣用手段であるように見える。たとえば同じようなスートケースが少なくも四五度現われて、それが皆それぞれ違った役目をつとめると同時にその物を通して過去をフラッシュバック・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・例えば鼻の大きい人の鼻を普通の計測的の大きさの比以上に廓大して描いたり、喜怒の感情の発現を誇張した身振りで示すがごときは、最も月並な慣用手段である。もう少し進んだのになると、鼻や小鼻の曲線のあるデリケートな抑揚をつかまえて、これを少しアクセ・・・ 寺田寅彦 「漫画と科学」
・・・ 昭和の日本人は秋晴れの日、山に遊ぶことを言うにハイキングとやら称する亜米利加語を用いているが、わたくしの如き頑民に言わせると、古来慣用せられた登高の一語で足りている。 その年陰暦九月十三夜が陽暦のいつの日に当っていたか、わたくしは・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・従来の慣用語を以ていえば、主観客観の相互限定から起るのである。而してそれは我々の自己が、自己自身によって自己自身を限定するものの自己表現の過程として、真実在の自己表現の一立脚地となるということにほかならない。故に我々の自己は真実在の自己限定・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・そして感情するためには、ニイチェの言葉の中から、すべての省略された意味、即ち彼の慣用する音楽術語で言ふ Con motoの部分を、自分で直感的に会得せねばならない。そして此処に、彼の理解への最も困難な鍵がある。たしかに人の言ふ如く、カントの・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・この三年間に、反小林多喜二の慣用語として、主体性を云い、人民的民主主義の方向を抹殺して、個人を云い自我を云いたてた人々は、現在、その人々の目にもあきらかなように、反動的農民組合の分派が、自分たちを主体派とよび、労働組合の分裂工作が民主化同盟・・・ 宮本百合子 「小林多喜二の今日における意義」
出典:青空文庫