・・・ただ、自分は、昔からあの水を見るごとに、なんとなく、涙を落したいような、言いがたい慰安と寂寥とを感じた。まったく、自分の住んでいる世界から遠ざかって、なつかしい思慕と追憶との国にはいるような心もちがした。この心もちのために、この慰安と寂寥と・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・が、陸軍病院の慰安のための見物がえりの、四五十人の一行が、白い装でよぎったが、霜の使者が通るようで、宵過ぎのうそ寒さの再び春に返ったのも、更に寂然としたのであった。 月夜鴉が低く飛んで、水を潜るように、柳から柳へ流れた。「うざくらし・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ば也とのことである、地も亦神の有である、是れ今日の如くに永久に神の敵に委ねらるべき者ではない、神は其子を以て人類を審判き給う時に地を不信者の手より奪還して之を己を愛する者に与え給うとの事である、絶大の慰安を伝うる言辞である。 饑渇く如く・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・しかして、流浪の末に、最後に心の慰安を多くそこに見出したと知る時、私達は、土と人間の関係について今更の如く考えさせられるのである。 小川未明 「彼等流浪す」
・・・そうして、この男に、男爵という軽蔑を含めた愛称を与えて、この男の住家をかれらの唯一の慰安所と為した。男爵はぼんやり、これら訪問客たちのために、台所でごはんをたき、わびしげに芋の皮をむいていた。 かれは、そんな男であった。訪問客のひとりが・・・ 太宰治 「花燭」
・・・一、ちくおんき慰安。私は、はじめの日、腹から感謝して泣いてしまった。新入の患者あるごとに、ちくおんき、高田浩吉、はじめる如し。一、事務所のほうからは、決して保証人へ来いと電話せぬ。むこうのきびしく、さいそくせぬうちは、永遠に黙してい・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・ターの刻音を数えながら目的の星が視野に這入って来るのを待っている、その際どい一、二分間を盗んで吸付ける一服は、ことに凍るような霜夜もようやく更けて、そろそろ腹の減って来るときなど、実に忘れ難い不思議な慰安の霊薬であった。いよいよ星が見え出し・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・それでこの最も人間的な人間固有の享楽と慰安に資料を供給する専売局の仕事はこの点で最も独自なものであると云われるかもしれない。それでこの機会を利用して専売局に敬意を表すると同時に、当事者がますます煙草に関する科学的芸術的ないし経済的研究を進め・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・しかしアカデミックな芸術に食傷したものの眼には不思議な慰安と憧憬を感ぜしめる。これはただ牛肉の後に沢庵といいうような意味のものではなく、もっとずっと深い内面的の理由による事と思う。美学者や心理学者はこれに対してどういう見解を下しているか知ら・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・北方の大阪から神戸兵庫を経て、須磨の海岸あたりにまで延長していっている阪神の市民に、温和で健やかな空気と、青々した山や海の眺めと、新鮮な食料とで、彼らの休息と慰安を与える新しい住宅地の一つであった。 桂三郎は、私の兄の養子であったが、三・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
出典:青空文庫