・・・ただ冷やかな軽蔑と骨にも徹りそうな憎悪とである。神父は惘気にとられたなり、しばらくはただ唖のように瞬きをするばかりだった。「まことの天主、南蛮の如来とはそう云うものでございますか?」 女はいままでのつつましさにも似ず、止めを刺すよう・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・だから僕の心もちが妻に通じない点で、――通じない所か、むしろ憎悪を買っている点で、それだけ余計に僕は煩悶した。君を新橋に出迎えて以来、とうとう今日に至るまで、僕は始終この煩悶と闘わなければならなかったのだ。が、一週間ばかり前に、下女か何かの・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 今西の顔はこの瞬間、憎悪そのもののマスクであった。 鎌倉。 陳の寝室の戸は破れていた。が、その外は寝台も、西洋せいようがやも、洗面台も、それから明るい電燈の光も、ことごとく一瞬間以前と同じであった。 陳彩は部屋の隅に佇・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・と、あまり自分達に個性がなさすぎるのが悟られて、反動的に、自己憎悪を感じたのでありました。 事実、面白いといわれたので、自分に少しも面白くないものがあります。その文体が、そこにあらわれた趣味、考え方が、どうしても、ぴたりと心に合致し・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
・・・なくなった、脾骨の見えるような馬を屠殺するために、連れて行くのを往来などで遊んでいて見た時、飼主の無情より捨てられて、宿無しとなった毛の汚れた犬が、犬殺しに捕えられた時、子供等が、これ等の冷血漢に注ぐ憎悪の瞳と、憤激の罵声こそ、人間の閃きで・・・ 小川未明 「天を怖れよ」
・・・恋愛至上主義によって、結婚した男女は、いまや、幻滅の悲哀を感じて、いまゝで美しかったもの愛したものに、限りない憎悪と醜悪とを感じたのである。加うるに、最も自己の欲望を満足することが、意義ある生活だと考えたところから彼等は、家庭を破壊して、新・・・ 小川未明 「婦人の過去と将来の予期」
・・・文学趣味のある彼女は豹一の真赤に染められた頬を見て、この少年は私の反撥心を憎悪に進む一歩手前で喰い止めるために、しばしば可愛い花火を打ち上げると思った。なお、この少年は私を愛していると己惚れた。それをこの少年から告白させるのはおもしろいと思・・・ 織田作之助 「雨」
・・・おそらくそれへの嫌悪から私のそうした憎悪も胚胎したのかもしれないのである。 しかし私の憎悪はそればかりではなく、太陽が風景へ与える効果――眼からの効果――の上にも形成されていた。 私が最後に都会にいた頃――それは冬至に間もない頃であ・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ ゴーゴリや、モリエールの持っていた冷かな情熱と憎悪を以て、今のブルジョアをバクロする喜劇を書いたら、それが一番効果があると云い度い位いだ。僕等の前には、ゴーゴリや、モリエールによって取扱わるべき材料がうようよしている。 今は小説を・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・のみならず、憎悪と反感とを抱いていた。彼は、日本人のために理由なしに家宅捜索をせられたことがあった。また、金は払うと云いつつ、当然のように、仔をはらんでいる豚を徴発して行かれたことがあった。畑は荒された。いつ自分達の傍で戦争をして、流れだま・・・ 黒島伝治 「橇」
出典:青空文庫