・・・レヴュに憧れてね。殺されて四日間も溝の中で転がっていたんだが、それと知らぬレヴュガールがその溝の上を通って楽屋入りをしていたんだ。娘にとっては本望……」「また殺人事件ですか」呆れていた。「またとは何だ。あ、そうか、『十銭芸者』も終り・・・ 織田作之助 「世相」
・・・けれど、私だって世間並みに一人の娘、矢張り何かが訪れて来そうな、思いも掛けぬことが起りそうな、そんな憧れ、といって悪ければ、期待はもっていた。だから、いきなり殺風景な写真を見せつけられ、うむを言わさず、見合いに行けと言われて、はいと承知して・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・諸君は、小説家やジャーナリストの筆先に迷って徒らに帝都の美に憧れてはならない。われわれの国の固有の伝統と文明とは、東京よりも却って諸君の郷土に於て発見される。東京にあるものは、根柢の浅い外来の文化と、たかだか三百年来の江戸趣味の残滓に過ぎな・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・もののあわれへのノスタルジアや、いわゆる心境小説としての私小説へのノスタルジアに憧れている限り文壇進歩党ははびこるばかりである。といって、自分たちの文学運動にただ「民主主義」の四字を冠しただけで満足しているような文壇社会党乃至文壇共産党の文・・・ 織田作之助 「土足のままの文学」
・・・徳、善、道というものへの憧れのまじらないような恋愛は純真な恋愛ではない。女性は美しく、力強い男性を選ぶのだが、善い、高貴な素質をそなえた男性をこれと切り放すことなしに求めねばならぬ。恋愛するときに、この徳への憧れが一緒に燃え上がらないような・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ただその名に憧れて、大した名物だということを知っていたに過ぎない。廷珸は因是の甘いお客だということを見抜いて、「これがその宝器でございまして、これこれの訳で出たものでございまする」と宜い加減な伝来のいきさつを談して、一つの窯鼎を売りつけた。・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・ところが女は、かえってその不自然な女装の姿に憧れて、その毛臑の女性の真似をしている。滑稽の極である。もともと女であるのに、その姿態と声を捨て、わざわざ男の粗暴の動作を学び、その太い音声、文章を「勉強」いたし、さてそれから、男の「女音」の真似・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・地上の営みに於ては、何の誇るところが無くっても、其の自由な高貴の憧れによって時々は神と共にさえ住めるのです。 此の特権を自覚し給え。この特権を誇り給え。何時迄も君に具有している特権ではないのだぞ。ああ、それはほんの短い期間だ。その期間を・・・ 太宰治 「心の王者」
・・・ひとから先生と言われただけでも、ひどく狼狽する私たち、そのことが、ただ永遠の憧れに終るのかも知れないが。 教養人というものは、どうしてこんなに頼りないものなのだろう。ヴィタリティというものがまったく、全然ないのだもの。 ああ、先生も・・・ 太宰治 「豊島與志雄著『高尾ざんげ』解説」
・・・いじらしいくらいに、それに憧れていながら、君たちに出来るのは、赤瓦の屋根の文化生活くらいのものだろう。 語学には、もちろん自信無し。 しかし、君たちは何やら「啓蒙家」みたいな口調で、すまして民衆に説いている。 洋行。 案外、・・・ 太宰治 「如是我聞」
出典:青空文庫