・・・ましてこっちが負けた時は、ものゝ分った伯父さんに重々御尤な意見をされたような、甚憫然な心もちになる。いずれにしてもその原因は、思想なり感情なりの上で、自分よりも菊池の方が、余計苦労をしているからだろうと思う。だからもっと卑近な場合にしても、・・・ 芥川竜之介 「兄貴のような心持」
・・・捻り廻して鬱いだ顔色は、愍然や、河童のぬめりで腐って、ポカンと穴があいたらしい。まだ宵だというに、番頭のそうした処は、旅館の閑散をも表示する……背後に雑木山を控えた、鍵の手形の総二階に、あかりの点いたのは、三人の客が、出掛けに障子を閉めた、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・思えばそれが愍然でならない。あんな温和しい民さんだもの、両親から親類中かかって強いられ、どうしてそれが拒まれよう。民さんが気の強い人ならきっと自殺をしたのだけれど、温和しい人だけにそれも出来なかったのだ。民さんは嫁に往っても僕の心に変りはな・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・そればかりじゃあ無い、奉公をしようと云ったって請人というものが無けりゃあ堅い良い家じゃあ置いてくれやしないし、他人ばかりの中へ出りゃあ、この児はこういう訳のものだから愍然だと思ってくれる人だって有りゃあしない。だから他郷へ出て苦労をするにし・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・で決闘を見たとか云うのだと張合があるが、いかにも憫然な生活だからくだらない。しかし僕が倫敦に来てどんな事をやっているかがちょっと分る。僕を知っている君らにはそこに少々興味があるだろう。 この前の金曜が「グード・フライデー」で「イースター・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ だからといって作家同盟の方向が根本的に誤っているとか、または林房雄の憫然たるアナーキー性の爆発的言辞を引用すれば「鎌倉に引込んだ僕の方がプロレタリア的仕事をするから見ていろ」などというに至っては、すでに論外である。 真にプロレタリ・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・ 文学が科学に向った想像力においては殆ど常にあわれな架空性に陥り、科学がその文学的な想像力においては、やはりとかく憫然たる架空性に陥らざるを得ないという今日の文化のありようについて、私たちは真率なかなしみと、それからの成長の熱い願いとを・・・ 宮本百合子 「文学のひろがり」
・・・そして、今なお、一生懸命にふり出した時の希望をすてず、悪戦し苦闘している女の仲間を、憫然らしく流し目にみる。ものわかりのわるい人たちとしてみる。 若さを喪失することにある悪は、フランスの貴族的な女詩人マダム・ノアイユが詠歎したような哲学・・・ 宮本百合子 「ものわかりよさ」
・・・思えば列とは何と一抹の憫然さをも漂わしていることだろう。 列が日常の生活に生じて来る時代の空気は微妙で、列になる前の気分とはおのずと異っているところもいろいろ考えさせる。この春ごろだったか、作家の武田麟太郎氏が、或る短い文章のなかで、何・・・ 宮本百合子 「列のこころ」
・・・なにがにがしさを、若い世代としての情熱ではじきかえさず、そこの間に横たわる矛盾こそがいかに大きく深い力で今日の娘たちを引おろしているものであるかも知らず、何かリアリストのようにいい切っている姿は、何と憫然で腹立たしいだろう。若いころの恋愛な・・・ 宮本百合子 「若い婦人の著書二つ」
出典:青空文庫