・・・主人が帰るそれまでは、我とおのれ等とは何の関りも無い。帰る。宜かろう。何様じゃ。互に用は無い。勝手にしおれおのれ等。ハハハハハハ、公方が河内正覚寺の御陣にあらせられた間、桂の遊女を御相手にしめされて御慰みあったも同じことじゃ、ハハハハハハ。・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・スバーは、我と我身を顧みました。自分に問をかけても見ました、が、合点の行く答えは、何処からも来ません。 或る満月の晩おそく、彼女は静かに部屋の戸を開けて、こわごわ戸外を覗いて見ました。淋しいスバーと同じように、彼女自身満月の自然は、凝っ・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・彼と我と、その思想その詩才においては、いうまでもなく天地雲泥の相違があろう。しかし同じく生れて詩人となるやその滅びたる芸術を回顧する美的感奮の真情に至っては、さして多くの差別があろうとも思われぬ。 否々。自分は彼れレニエエが「われはヴェ・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・今宵の悩みはそれらにはあらず。我という個霊の消え失せて、求むれども遂に得がたきを、驚きて迷いて、果ては情なくてかくは乱るるなり。我を司どるものの我にはあらで、先に見し人の姿なるを奇しく、怪しく、悲しく念じ煩うなり。いつの間に我はランスロット・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・かりに書く訳でもないが、とにかくこっちから頼みはしないので、先方から勝手に寄こすくらいの酔興的な閑文字すなわち一種の意味における芸術品なのだから、もし我々の若い時分の気持で書くとすれば、天下の英雄君と我とのみとまで豪がらないにせよ、習俗的に・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・この事実と云うのを他の言葉で現して見ようならば、私は我と云うもの、あなた方は私に対して私以外のものと云う意味であります。もっとむずかしい表現法を用いると物我対立と云う事実であります。すなわち世界は我と物との相待の関係で成立していると云う事に・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・も一つは向うの我とこちらの我とが無茶苦茶に衝突もしなかったのでもあろう。忘れていたが、彼と僕と交際し始めたも一つの原因は、二人で寄席の話をした時、先生も大に寄席通を以て任じて居る。ところが僕も寄席の事を知っていたので、話すに足るとでも思った・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・とウィリアムは我とはなしに鬣を握りてひらりと高き脊に跨がる。足乗せぬ鐙は手持無沙汰に太腹を打って宙に躍る。この時何物か「南の国へ行け」と鉄被る剛き手を挙げて馬の尻をしたたかに打つ。「呪われた」とウィリアムは馬と共に空を行く。 ウィリアム・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・なおいいかえれば、あなた方は仕事に服従して我というものをなくなさなければ出来ないのです。各自個々勝手な方面へ行ったなら、仕事はできない。私どもの方は我を発揮しなければ、何も出来ません。 そこで、あなた方の方でする仕事というものを見ると、・・・ 夏目漱石 「無題」
・・・ 第一、今の今まで女王だとか、お前のおかげだとか、わいわい騒いでいた者達が、話せ話せと云って身の上話をさせながら、話し手が我と泣き倒れる程血の出るような事実を語っているのに、歎声一つ発しない冷淡さが事実あるだろうか。 自分達が云うだ・・・ 宮本百合子 「印象」
出典:青空文庫