・・・平素市中の百貨店や停車場などで、疲れもせず我先きにと先を争っている喧騒な優越人種に逢わぬことである。夏になると、水泳場また貸ボート屋が建てられる処もあるが、しかしそれは橋のかかっているあたりに限られ、橋に遠い堤防には祭日の午後といえども、滅・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・一人二人の後は只我先にと乱れ入る。むくむくと湧く清水に、こまかき砂の浮き上りて一度に漾う如く見ゆる。壁の上よりは、ありとある弓を伏せて蝟の如く寄手の鼻頭に、鉤と曲る鏃を集める。空を行く長き箭の、一矢毎に鳴りを起せば数千の鳴りは一と塊りとなっ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・サアお出だというお先布令があると、昔堅気の百姓たちが一同に炬火をふり輝らして、我先と二里も三里も出揃って、お待受をするのです。やがて二頭曳の馬車の轟が聞えると思うと、その内に手綱を扣えさせて、緩々お乗込になっている殿様と奥様、物慣ない僕たち・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫