・・・その後S―はひどく酔ったときなどは、気持にはどんな我慢をさせてもという気になってついその女を呼ぶ、心が荒くなってその女でないと満足できないようなものが、酒を飲むと起こるのだと言った。 喬はその話を聞いたとき、女自身に病的な嗜好があるのな・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ 自体拙者は気に入らないので、頻りと止めてみたが、もともと強情我慢な母親、妹は我儘者、母に甘やかされて育てられ、三絃まで仕込まれて自堕落者に首尾よく成りおおせた女。お前たちの厄介にさえならなければ可かろうとの挨拶で、頭から自分の注意は取・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ヒステリーに陥らずに、瘠我慢の朗らかさを保ち得るものが幾人あろう。 倉田百三 「婦人と職業」
・・・しかし、辛棒するのは、我慢がならなかった。憲兵が三等症にかゝって、病院へ内所で治療を受けに来ることは、珍らしくなかった。そんな時、彼等は、頭を下げ、笑顔を作って、看護卒の機嫌を取るようなことを云った。その態度は、掌を引っくりかえしたように、・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・「ま、もう少しの我慢ですよ。」 検事が鞄をかゝえこんで、立ち上るとき云った。俺は聞いていなかった。 豆の話 俺はとう/\起訴されてしまった。Y署の二十九日が終ると、裁判所へ呼び出されて、予審判事から検事の起訴・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・私は二階の二部屋を次郎と三郎にあてがい(この兄弟は二人末子は階下にある茶の間の片すみで我慢させ、自分は玄関側の四畳半にこもって、そこを書斎とも応接間とも寝部屋ともしてきた。今一部屋もあったらと、私たちは言い暮らしてきた。それに、二階は明るい・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・男等は皆我慢の出来ないほどな好い心持になった。 この群のうちに一人の年若な、髪のブロンドな青年がいる。髭はない。頬の肉が落ちているので、顔の大きさが、青年自身の手の平ほどに見える。この青年がなんと思ったか、ちぢれた髪の上に被っていた鳥打・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・「ではこの押入には、下の方はあたしのものが少しばかりはいっておりますから、あなたは当分上の段だけで我慢してくださいましな」「………」「ねえ」「ええ」「まあ一心になっていらっしゃるんだわ」という。 ちょうど一と区切りつ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・長女は、思いやりの深い子であるから、末弟のこの失敗を救済すべく、噴き出したいのを我慢して、気を押し沈め、しずかに語った。「ただいまお話ございましたように、その老博士は、たいへん高邁のお志を持って居られます。高邁のお志には、いつも逆境がつ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・と附け加えたかったのを、我慢して呑み込んだ。「うん。書きものだ。」こう云うとたんに、丁度美しい小娘がジュポンの裾を撮んで、ぬかるみを跨ごうとしているのを見附けた竜騎兵中尉は、左の手にを握っていた軍刀を高く持ち上げて、極めて熱心にその娘の・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
出典:青空文庫