・・・「甚太夫は戦場へ出て、槍の柄を切り折られたら何とする。可哀や剣術は竹刀さえ、一人前には使えないそうな。」――こんな噂が誰云うとなく、たちまち家中に広まったのであった。それには勿論同輩の嫉妬や羨望も交っていた。が、彼を推挙した内藤三左衛門の身・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ことに不思議なるは同人の頸部なる創にして、こはその際兇器にて傷けられたるものにあらず、全く日清戦争中戦場にて負いたる創口が、再、破れたるものにして、実見者の談によれば、格闘中同人が卓子と共に顛倒するや否や、首は俄然喉の皮一枚を残して、鮮血と・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・「しかしお前たちが通って来たのは、今にも戦場になる街道じゃないか? 良民ならば用もないのに、――」 支那語の出来る副官は、血色の悪い支那人の顔へ、ちらりと意地の悪い眼を送った。「いや、用はあるのです。今も申し上げた通り、私たちは・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・かくて人生は永劫の戦場である。個人が社会と戦い、青年が老人と戦い、進取と自由が保守と執着に組みつき、新らしき者が旧き者と鎬を削る。勝つ者は青史の天に星と化して、芳ばしき天才の輝きが万世に光被する。敗れて地に塗れた者は、尽きざる恨みを残して、・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・もう、何でも早う戦場にのぞみとうてのぞみとうて堪えられなんだやろ。心では、おうかた、大砲の音を聴いとったんやろ。僕は、あの時成る程離縁問題が出た筈やと思た。」「成る程、これからがいよいよ人の気が狂い出すという幕だ、な。」「それが、さ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ 河鯉権守夫れ遠謀禍殃を招くを奈ん 牆辺耳あり防を欠く 塚中血は化す千年碧なり 九外屍は留む三日香ばし 此老の忠心きようじつの如し 阿誰貞節凜として秋霜 也た知る泉下遺憾無きを ひつぎを舁ぐの孤児戦場に趁く 蟇田素藤南面・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ ただもう血塗になってシャチコばっているのであるが、此様な男を戦場へ引張り出すとは、運命の神も聞えぬ。一体何者だろう? 俺のように年寄った母親が有うも知ぬが、さぞ夕暮ごとにいぶせき埴生の小舎の戸口に彳み、遥の空を眺ては、命の綱のかせぎに・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・乃木夫人は戦場に、マリアは十字架へとわが子を行かしめたのも、われわれはこれを母性愛に対する義務の要求と見ずに、道と法とに高められ、照らされたる母性愛と見たい。それだけの負荷をあえて人間の精神、母なるものの霊性に課したいのである。永遠の母とは・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・浜田はそれまで、たび/\戦場に遺棄された支那兵が、蒙古犬に喰われているのを目撃してきていた。それは、原始時代を思わせる悲惨なものだった。 彼は、能う限り素早く射撃をつゞけて、小屋の方へ退却した。が、犬は、彼らの退路をも遮っていた。白いボ・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・家庭での、平和な生活はのぞましいものである。戦場は、「一兵卒」の場合では、大なる牢獄である。人間は、一度そこへ這入ると、いかにもがいても、あせっても、その大なる牢獄から脱することが出来ない。――こゝに、自然主義の消極的世界観がチラッと顔をの・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
出典:青空文庫