・・・或時僕が房州に行った時の紀行文を漢文で書いて其中に下らない詩などを入れて置いた、それを見せた事がある。処が大将頼みもしないのに跋を書いてよこした。何でも其中に、英書を読む者は漢籍が出来ず、漢籍の出来るものは英書は読めん、我兄の如きは千万人中・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・もっとも十年ほど前に予が房総を旅行した時に見分した所でも上総をあるく間は少しもげんげんを見た事がなかったので、この辺には全くないのかと思うたら、房州にはいってからげんげんを見た事を記憶して居る。上総にもげんげんはないではないが、余り多くない・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
随分昔のことであるけれども、房州の白浜へ行って海女のひとたちが海へ潜って働くのや天草とりに働く姿を見たことがあった。 あの辺の海は濤がきつく高くうちよせて巖にぶつかってとび散る飛沫を身に浴びながら歌をうたうと、その声は・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
・・・ ○何にしろ東京が此那有様なので、種々の注意は皆此方に牽かれ、全滅した小田原、房州の諸町へはなかなか充分手がまわらない形がある。 ○東京は地震地帯の上にあって、いつも六七十年目百年目に此那大地震がある。建てても建てても間もなく埋・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・そこで房州うまれの内木氏のるんは有竹氏を冒して、外桜田の戸田邸から番町の美濃部方へよめに来たのである。 るんは美人と云う性の女ではない。若し床の間の置物のような物を美人としたら、るんは調法に出来た器具のような物であろう。体格が好く、押出・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・その中に重い病気のためにドイツ語の研究を思い止まって、房州辺の海岸へ転地療養に往くと云うことが書いてあった。私はすぐに返事を遣って慰めた。これは私の手紙としては、最長い手紙で、世間で不治の病と云うものが必ず不治だと思ってはならぬ、安心を得よ・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫