・・・ そもそも前にもいえる如く、余輩の所見とて必ずしも天下の父母をして悉皆自らその子を教えしめんとするにあらず。ただ企望する所は、仮令いその子を学校に入るるにもせよ、あるいは自宅にて教うるにもせよ、家の都合次第、今時の勢いにては才学に欠点な・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・余は宗教の天然説を度外視する者なれば、天の約束というも、人為の習慣というも、そのへんはこれを人々の所見にまかして問うことなしといえども、ただ平安を好むの一事にいたりては、古今人間の実際に行われて違うことなきを知るべきのみ。しからばすなわち教・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・よって今、その所見の大略を記して、天下同志の人にしめすこと左の如し。 京都の学校は明治二年より基を開きしものにて、目今、中学校と名る者四所、小学校と名るもの六十四所あり。 市中を六十四区に分て学校の区分となせしは、かの西洋にていわゆ・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・ 余輩の所見にては、弱冠の生徒にしてこれらの学につくは、なお早しといわざるをえず。その危険は小児をして利刀を弄せしむるに異ならざるべし。いわんや近来は世上に政談流行して、物論はなはだ喧しき時節なるにおいてをや。人の子を教うるの学塾にして・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・今日学務においてもっとも大切なることなれば、いささか余が所見を述ること左の如し。各地方小学教師のために備考の一助ともならば幸甚のみ。 小学教育の事 二 平仮名と片仮名とを較べて、市在民間の日用にいずれか普通なりやと尋れ・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・我が輩の所見においては、これを文部省の学制に求めず、また教師の不徳、教書の不経をも咎めず。これらは皆、事の近因として、さらにこの近因を生じたる根本の大原因に溯るに非ざれば、事の得失を断ずるに足らざるを信ずるものなり。けだしその原因とは何ぞや・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・ 然るに、我輩が年来の所見を以ていかように判断せんとするも説を得ざるその次第は、我が国人が斯くまでに力を尽して外交を重んじ、ただに事実に国の富強文明を謀るのみならず、外面の体裁虚飾に至るまでも、専ら西洋流の文明開化に倣わんとして怠ること・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・我が輩の所見にては我が国教育の仕組はまったくこの旨に違えりといわざるをえず。 試に今日女子の教育を視よ、都鄙一般に流行して、その流行の極、しきりに新奇を好み、山村水落に女子英語学校ありて、生徒の数、常に幾十人ありなどいえるは毎度伝聞する・・・ 福沢諭吉 「文明教育論」
・・・ 蓋し勝氏輩の所見は内乱の戦争を以て無上の災害無益の労費と認め、味方に勝算なき限りは速に和して速に事を収るに若かずとの数理を信じたるものより外ならず。その口に説くところを聞けば主公の安危または外交の利害などいうといえども、その心術の底を・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ 往来所見 ○毛糸の頭巾をかぶった男の子二人、活動の真似をして棒ちぎれを振廻す ○オートバイ 「このハンドルの渋いの気に入らん」 とめたまま爆発の工合を見て居る。 女の言葉の特長・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
出典:青空文庫