・・・ 眼鏡をかけているのが、その顔役の人で、もうひとりの、色の白いのが撮影所の所長です。この所長は、とても腰の低いひとで、一介の書生に過ぎぬ私を、それこそ下にも置かず、もてなしてくれました。商売人のようないや味もなく、まじめな、礼儀正しい人でし・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・大正七年三菱研究所の創立に際してその所長となったが、その設立については末広君が主要な中心人物の一人として活動した事は明白な事実である。大正十二年関東大震災以前から既に地震学に興味をもっていたが、大震災の惨害を体験した動機から、地震に対する特・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・ 同志諸君の貴重なる生命が、腐敗した罐詰の内部に、死を待つために故意に幽閉されてあるという事実に対して、山田常夫君と、波田きし子女史とは所長に只今交渉中である。また一方吾人は、社会的にも世論を喚起する積りである。同志諸君、諸君も内部において・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・ 然りといえども、よく事理を詳し、そのよるところ、その安んずるところを視察せば、人おのおのその才に所長あり、その志に所好あり、所好は必ず長じ、所長は必ず好む。今天下の士君子、もっぱら世事に鞅掌し、干城の業を事とするも、あるいは止むをえざ・・・ 福沢諭吉 「中元祝酒の記」
・・・ぜんたいに誰か魔術でもかけているか、そうでなければ昔からの云い伝え通り、ひるには何もない野原のまんなかに不思議に楽しいポラーノの広場ができるのか、わたくしは却ってひるの間役所で標本に札をつけたり書類を所長のところへ持って行ったりしていたこと・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・それから、私は、当時、保護観察所と云って、治安維持法にふれたことのある人々を、四六時中つけまわして思想的生活的に制約することを仕事にしていた役所へ行って、検事であるその所長に会って話した。当時はまだ、作家の生活権を奪うということからの抗議に・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・かつて保護観察所長をしていた思想検事の長谷川劉が、現在最高裁判所のメムバーであって、さきごろ、柔道家であり、漫談家、作家である石黒敬七、富田常雄などと会談して、ペン・ワン・クラブというものをつくることを提案している。名目は、腕力のあるペン・・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・捕虜として各地でキャンプ生活をしながら生産労働に従ってきたひとびとの見聞は、その特別な事情から受ける制約があって、いた場所によって、収容所長の性格によって、まちまちな経験がされている。同時に日本の大衆が人民的な民主主義の道を歩きはじめて、中・・・ 宮本百合子 「あとがき(『モスクワ印象記』)」
・・・ これらの作品は、非常に複雑で熱い意欲をたくみに圧縮しつつ心を打つ力をもっていると思われますし、別な例では、ようやく終った所長の訓示ヒヤカシ半分に拍手浴びせワッと喊声あげて職場へ引き上げる。など、・・・ 宮本百合子 「歌集『集団行進』に寄せて」
・・・そして私は私の監視者である保護観察所の所長に会って、執筆禁止の不当なことと、生活権を奪ったことについての異議を申したてた。当時は、一般ジャーナリズム、文化人がまだこのような言論抑圧に対して、その不当を表明するだけの気持をもっていた。各方面か・・・ 宮本百合子 「年譜」
出典:青空文庫