・・・また手加減が窮屈になったりすると音が変る。それを「声がわり」だと云って笑ったりしました。家族の中でも誰の声らしいと云いますから末の弟の声だろうと云ったのに関聯してです。私は弟の変声期を想像するのがなにかむごい気がするときがあります。次の話も・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・だから私は、年少の友人に対しても、手加減せずに何かと不満を言ったものだ。野暮な田舎者の狭量かも知れない。私は三田君の、そのような、うぶなお便りを愛する事が出来なかった。それから、しばらくしてまた一通。これも原隊からのお便りである。 拝啓・・・ 太宰治 「散華」
・・・は先年物故なさいましたが、このお方のために私の或る詩集が、実に異様なくらい物凄い嘲罵を受け、私はしんそこから戦慄し、それからは、まったく一行の詩も書けなくなり、反駁したいにも、どうにも、その罵言は何の手加減も容赦も無く、私が小学校を卒業した・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・ 今月は、この男のことについて、手加減もせずに、暴露してみるつもりである。 孤高とか、節操とか、潔癖とか、そういう讃辞を得ている作家には注意しなければならない。それは、殆んど狐狸性を所有しているものたちである。潔癖などということは、・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・そういうものがあっていろいろ考えていらっしゃるから、ある場合には大へん新しい正しい方法をなさるし、年とった方から見れば「そんな面倒臭いことをいわないでも手加減ですよ」と、おっしゃるような場合が非常にあるのです。そういうことから、「どうも今時・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
・・・という自分の精神に従って「何らの表裏も手加減もなく真情を傾けてソヴェトを語り」そのことによってソヴェトにより多く貢献し、更に「ソヴェトよりもっと重大な」人類の運命と文化とのために貢献しようと決心したように見えるのである。 序言で、ジイド・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・私はこの熟路を行くに、奇蹟たる他の一面を顧慮して、多少の手加減をすれば好いのである。 私は決して徼幸者に現金をわたさない。これが徼幸者に対する一つの原則である。そこで私はF君にこんな事を言った。君はドイツ語が好く出来る。私の君を知ってい・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・親しく交わった彼らに対しても手加減をする余裕などはなかった。好きであった時に逢うことを好んだように、いやになった時には逢うことをいやがった。表面上には交誼を続けて薄情のそしりを避けるなどは、私には到底できないことであった。私は徹底を要求する・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫