・・・「大丈夫だよ。手探りでも」自分はかまわずに電燈をつけた。細帯一つになった母は無器用に金槌を使っていた。その姿は何だか家庭に見るには、余りにみすぼらしい気のするものだった。氷も水に洗われた角には、きらりと電燈の光を反射していた。 けれども・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・が、細流は、これから流れ、鳥居は、これから見え、町もこれから賑かだけれど、俄めくらと見えて、突立った足を、こぶらに力を入れて、あげたり、すぼめたりするように、片手を差出して、手探りで、巾着ほどな小児に杖を曳かれて辿る状。いま生命びろいをした・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・まっ暗な階段を手探りながら登って行って頂上に出る。ひどい風で帽子は着ていられぬ。帽子を脱ぐと髪の毛を吹き乱す。やっとベデカの図を開いてパリじゅうを見おろす。塔の頂の洗いさらされた石材には貝がらの化石が一面についている。寺の歴史やパリの歴史も・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ただ手探りでやって見るんだ。要するに人間生きてる以上は思想を使うけれども、それは便宜の為に使うばかり。と云う考えだから、私の主義は思想の為の思想でもなけりゃ芸術の為の芸術でもなく、また科学の為の科学でもない。人生の為の思想、人生の為の芸術、・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・相手を睨み据えながら、幸雄は手探りで素早くステッキを取ろうとした。ステッキはもうそこにはなかった。「畜生!」 いかにも口惜しげで、石川の心に同情が湧いた。幸雄の二の腕を背広の男が捉えた。「何する!」「おとなしく君が病院へさえ・・・ 宮本百合子 「牡丹」
・・・ 夜具葛籠の前に置いてあった脇差を、手探りに取ろうとする所へ、もう二の太刀を打ち卸して来る。無意識に右の手を挙げて受ける。手首がばったり切り落された。起ち上がって、左の手でむなぐらに掴み着いた。 相手は存外卑怯な奴であった。むなぐら・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫