・・・況や殺戮を喜ぶなどは、――尤も相手を絞め殺すことは議論に勝つよりも手軽である。 我我は互に憐まなければならぬ。ショオペンハウエルの厭世観の我我に与えた教訓もこう云うことではなかったであろうか? 夜はもう十二時を過ぎたらしい。星も相不・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・――それは彼には昔のように手軽には解けない問題だった。彼は机に向ったまま、いつかこの謎を口にしていた。「林檎とは一体何であるか?」 すると、か細い黒犬が一匹、どこからか書斎へはいって来た。のみならずその犬は身震いをすると、忽ち一人の・・・ 芥川竜之介 「三つのなぜ」
・・・ 最近も、私を、作者を訪ねて見えた、学校を出たばかりの若い人が、一月ばかり、つい御不沙汰、と手軽い処が、南洋の島々を渡って来た。……ピイ、チョコ、キイ、キコと鳴く、青い鳥だの、黄色な鳥だの、可愛らしい話もあったが、聞く内にハッと思ったの・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・それもあいつが浮気もので、ちょいと色に迷ったばかり、おいやならよしなさい、よそを聞いてみますという、お手軽なところだと、おれも承知をしたかもしれんが、どうしておれが探ってみると、義延という男はそんな男と男が違う。なんでも思い込んだらどうして・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・た様だった、お町はにこにこしながら、伯父さん腹がすいたでしょうが、少し待って下さい、一寸思いついた御馳走をするからって、何か手早に竈に火を入れる、おれの近くへ石臼を持出し話しながら、白粉を挽き始める、手軽気軽で、億劫な風など毛程も見せない、・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・私には手軽に、歴史小説も書けません。作品の行きづまりは、私のようなその日ぐらしの不流行の作家にとって、すなわち生活の行きづまりでもあります。私に、何が出来るでしょう。私は戦地へ行きたい。嘘の無い感動を捜しに。私は真剣であります。もっと若くて・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・御不浄拝借よりも更に、手軽な依頼ではないか。私は人から煙草の火の借用を申し込まれる度毎に、いつもまごつく。殊にその人が帽子をとり、ていねいな口調でたのんだ時には、私の顔は赤くなる。はあ、どうぞ、と出来るだけ気軽に言って、そうして、私がベンチ・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・このような神経の異常を治療するのにいちばん手軽な方法は、講演会場から車を飛ばしてどこかの常設映画館に入場することである。上映中の映画がどんな愚作であってもそれは問題でない、のみならずあるいはむしろ愚作であればあるほどその治療的効果が大きいよ・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・そうして簡易な解析と手軽な実験によって問題の大きい輪郭を明快に決定するという行き方であったように見える。解析の方法でも、数学者流に先ず最も一般の場合を取扱った後に a=0 b=0 c=0……と置く流儀ではなかったようである。実験の方でも高価・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・い、また義務を尽した後は大変心持が好いのであるが、深くその裏面に立ち入って内省して見ると、願くはこの義務の束縛を免かれて早く自由になりたい、人から強いられてやむをえずする仕事はできるだけ分量を圧搾して手軽に済ましたいという根性が常に胸の中に・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫