・・・河岸は不漁で、香のある鯛なんざ、廓までは廻らぬから、次第々々に隙にはなる、融通は利かず、寒くはなる、また暑くはなる、年紀は取る、手拭は染めねばならず、夜具の皮は買わねばならず、裏は天地で間に合っても、裲襠の色は変えねばならず、茶は切れる、時・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 不思議にここで逢いました――面影は、黒髪に笄して、雪の裲襠した貴夫人のように遥に思ったのとは全然違いました。黒繻子の襟のかかった縞の小袖に、ちっとすき切れのあるばかり、空色の絹のおなじ襟のかかった筒袖を、帯も見えないくらい引合せて、細・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・あの、幻の道具屋の、綺麗な婦のようでもあったし、裲襠姿振袖の額の押絵の一体のようにも思う。…… 瞬間には、ただ見られたと思う心を、棒にして、前後も左右も顧みず、衝々と出、その裳に両手をついて跪いた。「小児は影法師も授りません。……た・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・倒れたる木に腰打ち掛けて光代はしばらく休らいぬ。風は粉膩を撲ってなまめかしき香を辰弥に送れり。 参りましょう。親父ももう帰って来る時分でございます。と光代は立ち上りぬ。ここらはゆッくり休むところもなくっていけませんな。と辰弥もついにまた・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・懐手をして肩を揺すッて、昨日あたりの島田髷をがくりがくりとうなずかせ、今月一日に更衣をしたばかりの裲襠の裾に廊下を拭わせ、大跨にしかも急いで上草履を引き摺ッている。 お熊は四十格向で、薄痘痕があッて、小鬢に禿があッて、右の眼が曲んで、口・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫