・・・彼はその悲しみを払うために、そっと泥烏須の御名を唱えた。が、悲しみは消えないばかりか、前よりは一層彼の胸へ、重苦しい空気を拡げ出した。「この国の風景は美しい――。」 オルガンティノは反省した。「この国の風景は美しい。気候もまず温・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・この島の土人はあの肉を食うと、湿気を払うとか称えている。その芋も存外味は好いぞ。名前か? 名前は琉球芋じゃ。梶王などは飯の代りに、毎日その芋を食うている。」 梶王と云うのはさっき申した、兎唇の童の名前なのです。「どれでも勝手に箸をつ・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・小作料を回収する上にこれほど便利な事はない。小作料を払うまいと決心している仁右衛門は馬鹿な話だと思った。彼れは腹をきめた。そして競馬のために人の注意がおろそかになった機会を見すまして、商人と結托して、事務所へ廻わすべき燕麦をどんどん商人に渡・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・だからかかる犠牲を払うからには、俺がともちゃんのハズとして選ばれるくらいのことが必要になるんだ。とも子 なにもあなたなんかまだ選びはしないことよ。花田 そうつけつけやり込めるもんじゃないよ、女ってものは。沢本 俺はもうだめだ・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・泡を払うがごとく、むくりと浮いて出た。 その内、一本根から断って、逆手に取ったが、くなくなした奴、胴中を巻いて水分かれをさして遣れ。 で、密と離れた処から突ッ込んで、横寄せに、そろりと寄せて、這奴が夢中で泳ぐ処を、すいと掻きあげると・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 今度はやや近寄って、僧の前へ、片手、縁の外へ差出すと、先刻口を指したまま、鱗でもありそうな汚い胸のあたりへ、ふらりと釣っていた手が動いて、ハタと横を払うと、発奮か、冴か、折敷ぐるみ、バッタリ落ちて、昔々、蟹を潰した渋柿に似てころりと飛・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 強烈な平和の希望者は、それでも、今にも雨が静かになればと思う心から、雨声の高低に注意を払うことを、秒時もゆるがせにしてはいない。 不安――恐怖――その堪えがたい懊悩の苦しみを、この際幾分か紛らかそうには、体躯を運動する外はない。自・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ 家の子村の妙泉寺はこの界隈に名高き寺ながら、今は仁王門と本堂のみに、昔のおもかげを残して境内は塵を払う人もない。ことに本堂は屋根の中ほど脱落して屋根地の竹が見えてる。二人が門へはいった時、省作はまだ二人の来たのも気づかず、しきりに本堂・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・しかし、それも僕のうなぎ屋なぞへ払う分にまわった。「お客さんの分まで払うのア馬鹿馬鹿しい、わ」と、吉弥は自分の金でも取り扱うようなつもりでいた。 僕の妻は、そんなわけの物ではないということを――どんな理由でだか、そこまでは僕に報告し・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 尤もその頃は今のような途方もない画料を払うものはなかった。随って相場をする根性で描く画家も、株を買う了簡で描いてもらう依頼者もなかった。時勢が違うので強ち直ちに気品の問題とする事は出来ないが、当時の文人や画家は今の小説家や美術家よりも・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
出典:青空文庫