・・・先生は海鼠腸のこの匂といい色といいまたその汚しい桶といい、凡て何らの修飾をも調理をも出来得るかぎりの人為的技巧を加味せざる天然野生の粗暴が陶器漆器などの食器に盛れている料理の真中に出しゃばって、茲に何ともいえない大胆な意外な不調和を見せてい・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・いわゆる技巧と称するものは、この答案を明暸にするために文芸の士が利用する道具であります。道具は固より本体ではない。 そこで諸君はわかったと云われるかも知れぬ。またはわからぬと云われるかも知れぬ。分った方はそれでよろしいが、分らぬ方には少・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・本的な社会関係までを自分の問題としてとりあげる迫力がなく、しかも常に朗らかでばかりあり得ない気分の上でだけ新らしさを追求する結果、すでに映画制作者が巧みにも把えている古いものの新らしげな扮飾が、恋愛の技巧の上で横行する。互にまともな結婚もな・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・の愛の技巧とは全くちがった聰明がいります。 若い一組がうまくゆかないということは、やっぱり男の人に、女は家にいる方がいいという便宜的な必要が強く影響するからの結果もあるでしょう。積極的に結婚をする人は、女の人にしても、生活力が強いし向上・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・ 彼等は、おそい昼飯を至極技巧的な快活さに於て食べた。――彼は、出来るだけ愉快な心持で善後策を講じる準備に、体は動せない代り、能う限り滑稽な話題で彼女を笑わせようとした。彼女は良人の仕うちが癪にさわり、憤りたいのだけれども、話されること・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・の人物を写す立派な筆、情のこまやかな、江戸前の歌舞伎若衆の美くしかった頃の作者に見る様なこまかい技巧をもって、もう少し考えさせる材料に手をつけられたらばと思う。 私は必して、紅葉山人や一葉女史が、取るに足らない作家だったとか何とかけなす・・・ 宮本百合子 「紅葉山人と一葉女史」
・・・――もっとも技巧から言えばかなりに隙がある。夏目先生はカラマゾフ兄弟のある点をディクンスに比して非難された。その時私は承服し兼ねたが、しかし考えてみると私はディクンスの本体を知らない。それにドストイェフスキイには浪漫派らしい弱点がある。恐ら・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・ たとえば、日本画においては、ある一つの色で広い画面をムラなく塗りつぶすということは、非常に技巧の要る事だそうである。しかも日本画家はこの困難な仕事に打ち克とうと努力している。洋画にとっては、ムラなく単色に塗られた広い画面のごときは、美・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・ 美術院展覧会を一覧してまず感ずることは、そこに技巧があって画家の内部生命がないことである。東洋画の伝統は千年の古きより一年前の新しきに至るまでさまざまに利用せられ復活せられて、ひたすら看衆の眼を奪おうと努めている。ある者は大和絵と文人・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・ バアルはこの秘密を技巧に帰した。デュウゼは方法を誤った技巧を有しているのだ。 デュウゼは一般の女優の持っている技能を持っていない。他の女優と同じ方法をもって同じ事を現わす事ができないのだ。彼女の体には欠点がある。体の線、声の調子等・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫