・・・と金太郎はちょっとお力の方を見て、「この九月一日には、私共も集りまして、旦那に、先生に、それから私共夫婦と、四人で記念にビイルなぞを抜きました」「大方そんなことだろうッて、浦和でもお噂していましたよ」とお三輪が言った。「それがです、・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・そうして、たしかに、その辺の家の窓は、ごみで茶色に染まっているのであります。抜きさしならぬ現実であります。そうして一群の鳩が、驚いて飛び立って、唯さえ暗い中庭を、一刹那の間、一層暗くしたというのも、まさに、そのとおりで、原作者は、女のうしろ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・これなどは思い切って切り詰め、年代いじりなどは抜きにして綱領だけに止めたい。特に古い時代の歴史などはずいぶん抜かしてしまっても吾人の生活に大した影響はない。私は学生がアレキサンダー大王その外何ダースかの征服者の事を少しも知らなくても、大した・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・この四種のいずれがいかなる時勢に流行し、いずれがいかなる人にもっとも歓迎さるるかは大分興味ある問題でありますが、これも時間がないから抜きに致します。ただちょっと御断りをしておきたいのは、この四種は名前の示すごとく四種であって互にそれ相当の主・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・この文は西洋の新聞紙等より抜きたるものにして、必ずしもその記事の醜美を撰ぶにあらざれば、時々法外千万なる漫語放言もあれども、人生の内行に関するの醜談、即ち俗にいう下掛りのこととては、かつて一言もこれを見ず。その然る所以は、訳者が心を用いて特・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・男の子はまるでパイを喰べるようにもうそれを喰べていました、また折角剥いたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜きのような形になって床へ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまうのでした。 二人はりんごを大切にポケットにしまいま・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・其の機械として対手を見、その快楽から、人格的価値抜きに対手を抱擁する事は愧ずべき事だ。 人が、陥り易い多くの盲目と、忘我とを地獄の門として居る為に、性慾が如何に恐るべき謹むべきものであるかと云うことは、昔の賢者の云った通りである。 ・・・ 宮本百合子 「黄銅時代の為」
・・・横田聞きも果てず、いかにも某は茶事の心得なし、一徹なる武辺者なり、諸芸に堪能なるお手前の表芸が見たしと申すや否や、つと立ち上がり、脇差を抜きて投げつけ候。某は身をかわして避け、刀は違棚の下なる刀掛に掛けありし故、飛びしざりて刀を取り抜き合せ・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ 母が立ち去った跡で忍藻は例の匕首を手に取り上げて抜き離し、しばらくは氷の光をみつめてきっとした風情であったが、またその下からすぐに溜息が出た,「匕首、この匕首……さきにも母上が仰せられたごとくあの刀禰の記念じゃが……さてもこれを見・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・少年のころから深く植えつけられた習癖が、そう簡単に抜き去られるものではない。 藤村の文体の特徴も、おそらくここに関係があるであろう。ありのままを卒直に言ってしまうということは、実際にありのままを表現し得るかどうかは別問題として、一つの性・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
出典:青空文庫