・・・――しかし僕の物質主義は神秘主義を拒絶せずにはいられなかった。僕はつい二三箇月前にも或小さい同人雑誌にこう云う言葉を発表していた。――「僕は芸術的良心を始め、どう云う良心も持っていない。僕の持っているのは神経だけである」…… 姉は三人の・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・殊に短冊へ書くのが大嫌いで、日夕親炙したものの求めにさえ短冊の揮毫は固く拒絶した。何でも短冊は僅か五、六枚ぐらいしか書かなかったろうという評判で、短冊蒐集家の中には鴎外の短冊を懸賞したものもあるが獲られなかった。 日露戦役後、度々部下の・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ ――さすがのジャーナリズムもその非を悟ったか、川那子メジシンの誇大広告の掲載を拒絶するに至った……。 お前はすぐ紋附袴で新聞社へかけつけ、「――広告部長を呼べ!」 そして広告部長が出て来ると、「――おれの広告の・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・とお徳は一言で拒絶した。「そうか」真蔵は黙って了う。「それじゃこうしたらどうだろう。お徳の部屋の戸棚の下を明けて当分ともかく彼処へ炭を入れることにしたら。そしてお徳の所有品は中の部屋の戸棚を整理けて入れたら」と細君が一案を出した。・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・だから役をひいた時、知人やら親族の者が、隠居仕事を勧め、中には先方にほぼ交渉をつけて物にして来てまで勧めたが、ことごとく以上の理由で拒絶してしまったのである。細君は気軽な人物で何事もあきらめのよいたちだから文句はない。愚痴一つ言わない。お菊・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・言葉が発されたなら明らかにそれは拒絶の言葉でなくて、何の言葉がその眼の中の或物に伴なおうやと感じられた。仕方がないから自分は自分の意を徹しようとするために再び言葉を費さざるを得なかった。 兄さん、失敬なことを言う勝手な奴だと怒ってくれな・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・私は未だいちども、此の年少の友人たちに対して、面会を拒絶した事が無い。どんなに仕事のいそがしい時でも、あがりたまえ、と言う。けれども、いままでの「あがりたまえ」は、多分に消極的な「あがりたまえ」であったという事も、否定できない。つまり、気の・・・ 太宰治 「新郎」
・・・ おかみさんは、お金の時ほど強く拒絶しませんでした。私は、やっと、ほっとしました。そのおかみさんは仙台の少し手前の小さい駅で下車しましたが、おかみさんがいなくなってから、私は妻に向って苦笑し、「人道には、おどろいたな。」 と恩人・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・エンマは、きっとロドルフの誘惑を拒絶したにちがいない。そうして、エンマの生涯は、まるっきり違ったものになってしまった。それにちがいない。あくまでも、拒絶したにちがいない。だって、そうするより他に、仕様ないんだもの。こんなからだでは。そうして・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・そうして、西洋の芸術理論家は、こういうものの存在を拒絶した城郭にたてこもって、その城郭の中だけに通用する芸術論を構成し祖述し、それが東洋に舶来し、しかも誤訳されたりして宣伝されることもあるであろう。 四十年前の田舎の亀さんはやはりいちば・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
出典:青空文庫