・・・ 二郎さんは、はや、捕虫網を持ってきました。すると、突然お母さんが、「あのちょうを捕ってはいけませんよ。あの黒いちょうは、毎日いまごろ、ゆりの花に飛んでくるのです。お母さんは、とうから気がついていました。」 これをきくと、太郎さ・・・ 小川未明 「黒いちょうとお母さん」
・・・手も届かぬ遠くの空を飛んで居る水色の蝶を捕虫網で、やっとおさえて、二つ三つ、それはむなしい言葉であるのがわかっていながら、とにかく、掴んだ。 夜の言葉。「ダンテ、――ボオドレエル、――私。その線がふとい鋼鉄の直線のように思われた。そ・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・夏休みは標本採集の書きいれ時なので、毎日捕虫網を肩にして旧城跡の公園に出かけたものである。南国の炎天に蒸された樹林は「小さなうごめく生命」の無尽蔵であった。人のはいらないような茂みの中には美しいフェアリーや滑稽なゴブリンの一大王国があったの・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・自分も母にねだって蚊帳の破れたので捕虫網を作ってもらって、土用の日盛りにも恐れず、これを肩にかけて毎日のように虫捕りに出かけた。蝶蛾や甲虫類のいちばんたくさんに棲んでいる城山の中をあちこちと長い日を暮らした。二の丸三の丸の草原に・・・ 寺田寅彦 「花物語」
出典:青空文庫