・・・同じ汽車にて本庄まで行き、それより児玉町を経て秩父に入る一路は児玉郡よりするものにて、東京より行かんにははなはだしく迂なるが如くなれども、馬車の接続など便よければこの路を取る人も少からず。上州の新町にて汽車を下り、藤岡より鬼石にかかり、渡良・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・すなわち普通の詩歌の相次ぐ二句の接続は論理的単義的であり、甲句の「面」と乙句の「面」とは普通幾何学的に連続し、甲の描く曲線は乙の曲線と必然的単義的に連結している。これに反して連句中の一句とその付け句との「面」の関係は、複雑に連絡した一種のリ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・味のない描写としての好所であるのであるが、そのありのままを衒わないで真率に書くところを芸術的に見ないで道義的に批判したらやはり正直という言葉を同じ事象に対して用いられるのだからして、芸術と道徳も非常に接続している事が分りましょう。のみならず・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・だから uneasy と読んで、どちらの uneasy かと迷う間もなく、直 lies と云う字に接続するからして uneasy の意味は明確になってくる。するとまたこう非難する人が出るかも知れぬ。――lies にも両様がある。有形物につい・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・その顔を見ると、鼻の上で、左右の眉が太く接続っている。その頃髪剃と云うものは無論なかった。 自分は虜だから、腰をかける訳に行かない。草の上に胡坐をかいていた。足には大きな藁沓を穿いていた。この時代の藁沓は深いものであった。立つと膝頭まで・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・句法 句法は言語の接続をいう。俳句の句法は貞享、元禄に定まりて享保、宝暦を経て少しも動かず。むしろ元禄に変化したるだけの変化さえ失い、「何や」「何かな」一天張りのきわめて単調なるものとなり了りて、ただ時に檀林一派及び鬼貫らの・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・けれどもガラスの疵の加減であるか、その二つの灯が離れて居ないで不規則に接続して見える。全くの無心でこの大きな火の影を見て居るとその火の中に俄に人の顔が現れた。 見ると西洋の画に善くある、眼の丸い、くるくるした子供の顔であった。それが忽ち・・・ 正岡子規 「ランプの影」
・・・やがて無人格な三人称の私というものが発明されて、客観的な現実世界と主観的自我との間の機械的な接続器の役を負わされるようになり、作家が現実への責任をとわれる純文学から一種の通俗小説に移って行くこととなった。この時代、横光利一は、彼の心理主義の・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・京都の黄檗山万福寺と同様、大雄宝殿其他の建物を甃の廻廊で接続させてあるのだが、山端で平地の奥行きが不足な故か、構造の上でせせこましさがある。数多の柱列を充分活かすだけの直線の延長が足りないとでも説明すべきなのか。京都の万福寺の建物では智的で・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・それらの引用文と引用文との間の接続が強固な思索のリズムで行っていないところがあるように思えるし、著者が或る結論に到達した推論の過程なども、小冊子では出来るだけ要約された形で表現された方が読者の理解に便宜であるとも思えた。 この「社会運動・・・ 宮本百合子 「新島繁著『社会運動思想史』書評」
出典:青空文庫