・・・トロッコは三人の力が揃うと、突然ごろりと車輪をまわした。良平はこの音にひやりとした。しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かさなかった。ごろり、ごろり、――トロッコはそう云う音と共に、三人の手に押されながら、そろそろ線路を登って行った。 ・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・後の烏等、青き酒、赤き酒の瓶、続いてコップを取出だして並べ揃う。やがて、初の烏、一挺の蝋燭を取って、これに火を点ず。舞台明くなる。初の烏 (思い着きたる体にて、一ツの瓶の酒を玉盞に酌ぎ、燭に翳おお、綺麗だ。燭が映って、透徹っ・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ とばかり簡単に言捨てたるまま、身さえ眼をさえ動かさで、一心ただ思うことあるその一方を見詰めつつ、衣を換うるも、帯を緊むるも、衣紋を直すも、褄を揃うるも、皆他の手に打任せつ。 尋常ならぬ新婦の気色を危みたる介添の、何かは知らずおどお・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・勿体ないが、五百羅漢の御腕を、組違えて揃う中に、大笊に慈姑が二杯。泥のままのと、一笊は、藍浅く、颯と青に洗上げたのを、ころころと三つばかり、お町が取って、七輪へ載せ、尉を払い、火箸であしらい、媚かしい端折のまま、懐紙で煽ぐのに、手巾で軽く髪・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 村のものらもかれこれいうと聞いてるので、二人揃うてゆくも人前恥かしく、急いで村を通抜けようとの考えから、僕は一足先になって出掛ける。村はずれの坂の降口の大きな銀杏の樹の根で民子のくるのを待った。ここから見おろすと少しの田圃がある。色よ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・六円いくらでみんな揃うんだから……」 自分はクルリと寝返りを打ったが、そっと口の中で苦笑を噛み潰した。 六円いくら――それはある雑誌に自分が談話をしたお礼として昨日二十円届けられた、その金だった。それが自分の二月じゅうの全収入……こ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・「皆な揃うて大将のとこへ押しかけてやろうぜ。こんな不意打を食わせるなんて、どこにあるもんか!」 彼等は、腹癒せに戸棚に下駄を投げつけたり、障子の桟を武骨な手でへし折ったりした。この秋から、初めて、十六で働きにやって来た、京吉という若者は・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・が、困った事には父上の外は揃いも揃うた船嫌いで海を見るともう頭痛がすると云う塩梅で。何も急く旅でもなしいっそ人力で五十三次も面白かろうと、トウトウそれと極ってからかれこれ一月の果を車の上、両親の膝の上にかわるがわる載せられて面白いやら可笑し・・・ 寺田寅彦 「車」
・・・小学校の運動会に小さな手足の揃うすら心地好いものである。「一方に靡きそろひて花すゝき、風吹く時そ乱れざりける」で、事ある時などに国民の足並の綺麗に揃うのは、まことに余所目立派なものであろう。しかしながら当局者はよく記臆せなければならぬ、強制・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ その頃の哲学科は、井上哲次郎先生も一両年前に帰られ、元良、中嶋両先生も漸く教授となられたので、日本人の教授が揃うたのだが、主としてルードヴィヒ・ブッセが哲学の講義をしていた。この人はその頃まだ三十そこらの年輩の人であった。ベルリンでロ・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
出典:青空文庫