・・・……さ、お横に、とこれから腰を揉むのだが、横にもすれば、俯向にもする、一つくるりと返して、ふわりと柔くまた横にもしよう。水々しい魚は、真綿、羽二重の俎に寝て、術者はまな箸を持たない料理人である。衣を透して、肉を揉み、筋を萎すのであるから恍惚・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・が、実はこの怪異を祈伏せようと、三山の法力を用い、秘密の印を結んで、いら高の数珠を揉めば揉むほど、夥多しく一面に生えて、次第に数を増すのである。 茸は立衆、いずれも、見徳、嘯吹、上髭、思い思いの面を被り、括袴、脚絆、腰帯、水衣に包まれ、・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・道すがら、既に路傍の松山を二処ばかり探したが、浪路がいじらしいほど気を揉むばかりで、茸も松露も、似た形さえなかったので、獲ものを人に問うもおかしいが、且は所在なさに、連をさし置いて、いきなり声を掛けたのであったが。「いいえ、実盛塚へは―・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・文人が文章に気を揉むのは当然のようであるが、今日の偶像破壊時代の文人は過去の一切の文章型を無視して、同じ苦むにしてもこれまでの文章論や美辞法からは全く離れて自由であるべきはずである。極端にいえば、思想さえ思う存分に発現する事が出来るなら方式・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・少焉あって、一しきり藻掻いて、体の下になった右手をやッと脱して、両の腕で体を支えながら起上ろうとしてみたが、何がさて鑽で揉むような痛みが膝から胸、頭へと貫くように衝上げて来て、俺はまた倒れた。また真の闇の跡先なしさ。 ふッと眼が覚め・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・荷物を配達先へ届けると同時に産気づいて、運送屋や家の人が気を揉むうちに、安やすと仔牛は産まれた。親牛は長いこと、夕方まで休息していた。が、姑がそれを見た頃には、蓆を敷き、その上に仔牛を載せた荷車に、もう親牛はついていた。 行一は今日の美・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・ 刻々と揉む歴史の濤頭は荒くて、ふるい女らしさの小舟はすでに難破していると思う。私たちは、近代の科学で設計され、動的で、快活で、真情に富んだ雄々しい明日の船出を準備しなければならないのだと思う。〔一九四〇年二月〕・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・それから水筒を又一つ入れて達治さんに送っておきましょうね、今度のように気を揉むのは辛いから。 達治さんも同じ方角でしょう、そちらに重点がおかれているらしいから。磁石は手に入るかどうか。天文の本は紀さんの意見では非実用の由です。 実に・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 現実は、その複雑さで、私たち女をも激しく揉む。揉まれながら、一家の生活を負担し、今やますます広汎に生産の一部をも負担している女は、生活経験によって実力を靭められ、逞しくされながら、その間に自分たちの内と外とにのこされている社会的なマイ・・・ 宮本百合子 「祭日ならざる日々」
・・・ 長く引っぱって呻くように唄う言葉は分らないが、震えながら身を揉むようなマンドリンの音と、愁わしげに優しい低い音で絡み合うギターの響は、せきの凋びた胸にも一種の心持をかき立てるようであった。下町の人間らしい音曲ずきから暫く耳を傾けていた・・・ 宮本百合子 「街」
出典:青空文庫